15:以下、名無しにかわりましてVIP がお送りします:2012/11/19(月) 16:13:45.89 ID:OlgBQU7z0 私の母は昔から体が弱くて、それが理 由かは知らないが、 母の作る弁当はお世辞にも華やかとは 言えないほど質素で見映えの悪い物ば かりだった。 友達に見られるのが恥ずかしくて、毎 日食堂へ行き、お弁当はゴミ箱へ捨て ていた。 ある朝母が嬉しそうに「今日は〇〇の 大好きな海老入れといたよ」と私に 言ってきた。 私は生返事でそのまま学校へ行き、 こっそり中身を確認した。 すると確かに海老が入っていたが殻剥 きもめちゃくちゃだし、彩りも悪い し、 とても食べられなかった。 家に帰ると母は私に「今日の弁当美味 しかった?」としつこく尋ねてきた。 私はその時イライラしていたし、いつ もの母の弁当に対する鬱憤も溜ってい たので 「うるさいな!あんな汚い弁当捨てた よ!もう作らなくて
いいから」とつい きつく言ってしまった。 母は悲しそうに「気付かなくてごめん ね…」と言いそれから弁当を作らなく なった。
それから半年後、母は死んだ。私の知 らない病気だった。 母の遺品を整理していたら、日記が出 てきた。 中を見ると弁当のことばかり書いてい た。 「手の震えが止まらず上手く卵が焼け ない」 日記はあの日で終わっていた。 後悔で涙がこぼれた
16:以下、名無しにかわりましてVIP がお送りします:2012/11/19(月) 16:14:12.93 ID:y1Ej65Ao0 読んでる時、無自覚のうちに頬を熱い ものが伝っていった。。。。。。
21:以下、名無しにかわりましてVIP がお送りします:2012/11/19(月) 16:16:02.76 ID:OlgBQU7z0 幼い頃に父が亡くなり、母は再婚もせ ずに俺を育ててくれた。学もなく、技 術もなかった 母は、個人商店の手伝いみたいな仕事 で生計を立てていた。それでも当時住 んでいた 土地は、まだ人情が残っていたので、 何とか母子二人で質素に暮らしていけ た。
娯楽をする余裕なんてなく、日曜日は 母の手作りの弁当を持って、近所の河 原とかに 遊びに行っていた。給料をもらった次 の日曜日には、クリームパンとコーラ を買ってくれた。
ある日、母が勤め先からプロ野球のチ ケットを2枚もらってきた。俺は生ま れて初めての プロ野球観戦に興奮し、母はいつもよ り少しだけ豪華な弁当を作ってくれ た。
野球場に着き、チケットを見せて入ろ うとすると、係員に止められた。母が もらったのは 招待券ではなく優待券だった。チケッ ト売り場で一人1000円ずつ払ってチ ケットを買わ なければいけないと言われ、帰りの電 車賃くらいしか持っていなかった俺た ちは、外の ベンチで弁当を食べて帰った。電車の 中で無言の母に「楽しかったよ」と 言ったら、 母は「母ちゃん、バカでごめんね」と 言って涙を少しこぼした。
俺は母につらい思いをさせた貧乏と無 学がとことん嫌になって、一生懸命に 勉強した。 新聞奨学生として大学まで進み、いっ ぱしの社会人になった。結婚もして、 母に孫を見せて やることもできた。
そんな母が去年の暮れに亡くなった。 死ぬ前に一度だけ目を覚まし、思い出 したように 「野球、ごめんね」と言った。俺は 「楽しかったよ」と言おうとしたが、 最後まで声にならなかった。
22:以下、名無しにかわりましてVIP がお送りします:2012/11/19(月) 16:16:08.75 ID:y1Ej65Ao0 俺・・・わかったんダ。 ホントに大切なものわ金でも地位でも なくて、絆なんだよな、、、、
カーチャン。。。。。。。。。
25:以下、名無しにかわりましてVIP がお送りします:2012/11/19(月) 16:20:15.38 ID:OlgBQU7z0 私が19歳のとき、母が末期ガンと診 断されました もう長くはないと 入院中、もうすぐ成人式だった私に 「振袖そろそろ見に行かないと」 「お母さん一緒に行けなくてごめん ね」 「△△さん(母の親友)と一緒に見に行っ ておいで?」 など、すごく振袖を気にしていました 私は正直こんな状況なので成人式なん てどうでもよく、行く気もありません でした
そしてどんどん病状が悪化していくあ る日、病院から帰ろうとする私に母は 「○○を産んで幸せだったよ。○○、幸 せになってね」 と言った。涙が止まらなかった。
それからしばらくして、親戚が「これ を着て病院に行きなさい」と振袖を借 りてきてくれました。 美容院で着付け、ヘアセット、メイク をしてもらって病院に行った。
その頃の母は、もうほとんどしゃべれ なくて意識も朦朧としていました。 振袖を着た私を見て何度も「可愛 い」って言ってくれました 病室の中で撮った家族写真を見たら、 母は私の方ばかり見ていました
その夜、なんとなく嫌な予感がした もう会えない気がした
次の日の朝、家族の見守る中お母さん は逝きました
お母さん会いたいです いっぱいありがとうって言いたい まだまだいっしょにいたかった