初めての息子の手術は1才。
妊娠8ヶ月だったので、1才4ヶ月。
息子は早生まれなので、娘とは1才半違いだが、学年は2学年の違いとなる。
生後間もなく、ギブスになり、装具を使って矯正と週に3回のリハビリとマッサージ通い。
その甲斐あったのか、右足だけの手術となった。
記憶は定かではないが、術後の経過も良くすぐに、入院生活に飽きてしまうぐらい元気だった。
次の手術が5歳の時の脳挫傷だ。
同次期、小児科の方では、病名の確たる診断をして貰う為奮闘し、東京女子医科大学の先生により、判明した頃であった。家族の遺伝子の検査もして貰った。
染色体異常だった。が幸い娘は大丈夫この先も大丈夫だと分かった。
小児科で検査入院して成長ホルモンが出ていない為、成長ホルモンの注射をする事になり開始が決定していた。
小児慢性疾患の手続きが終わった頃の事故だった。
私は、悩みやストレスがない。
無さそうともよく言われるが。
喜怒哀楽の、怒りや哀しみが対人には欠けている。
誰かに、怒りがこみ上げてくる。
とか。
誰かに何かされ哀しい。
とか。
あまりよく、分からないジャンルだ。
とは言え、友達が哀しい思いをしていたり、誰かに怒りを持っている事を聞き、理解は出来た。
只、自分には当てはまるかとなると、ないというだけの事だが。
友達に鬱と診断された子がいた。
実は理解しようと思う反面、偏見があった。
自分には遠い話しのはずだった。
しかし、自律神経失調症になり、胃潰瘍、十二指腸潰瘍。円形脱毛症に抜毛症。
蕁麻疹、吐き気。胃に穴が空き出血。
活字にすると酷い状態と捉えがちだが、痛みに鈍感な自身は自覚症状が少なく楽観的で、特に日常に困っている様なつもりもなかった。
という感覚なのだが、周りから見ると苛つかせるようだ。
鬱
と診断された。ショックだった。
自分の不甲斐なさに悔しくて、弱さからなのかと情けなくなった。人間的に未熟故にだろう。
自分に対しては、怒りや哀しみというのとは少し違う感覚がある。
常に、自分の中で決めた事を1日の中で、やり通せるかの日々を重ね、時間が押せば寝ないでやる。
勝手に自分の決めた事なのだがやり切る事に重きをおく。
周囲に褒められたいとか、結果を認められたいとか、よく聞くが、人の話しとして、理解はできるが、全く自身には無いジャンルだ。
例えば、
1日30品目の一食4品のおかず。
お惣菜やレトルトは、お金持ちしか使用してはいけないので、使う事はなかった。
子供達は、牛乳か飲むヨーグルトか、麦茶。
たまに、義母や主人があげる事もジュースや炭酸をあげる事はあるが、普段飲まないのだから、楽しみの1つとして、そのくらいは良いだろうと、気にならなかった。
毎日家計簿を付け、何を作ったかを付け、収支を出す。
食費は8人で五万円強ぐらいで収める。
分刻みの時間をだいたい決め動く。
あげればキリがない。
1日の内で今日やれる事はやり、明日の事で出来る時間があれば更にやる。
今日は二度とこない。今日のやり直しは出来ない。やり残しがあってならない。
いつも、寝なくて良い身体になりたいと考えていた。
鬱。
休んでいる場合ではない。
子供達との今日が休んでいて終わってしまうなんて。
筒抜けの家。
できれば、主人と私の中で留めておきたかった。
義母は
そんな訳ないだろ。
気を悪くさせてしまった。
すいません。
と言うしかなかった。
当時は、今の様に取り上げられたりする事はあまり無く、自身もそうだったが偏見が強く、恥ずかしい話だった。
大学病院に息子が入院中、県立病院の主治医がお見舞いに来て下さり、
退院後に成長ホルモンの治療を始める事となった。
鬱の薬はやたらと量が多い。
日常の自分のスタイルを崩さぬ為、病院嫌いだった私は、後に、薬依存症になっていき、薬の収集癖が出始め、宝物の様になり、ある薬の中で調合を自分でしていく様になっていく。
普通になりたいとの切なる願い故。
息子 5才
娘 3才 24才