シエルの花の散歩道 -12ページ目

シエルの花の散歩道

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その日、グラグラと揺れる強い揺れで目が覚めた…。灯りは幸いにも点った。祖母が関東大震災を経験していた母は“お姉ちゃん!何これ!”と私に言ったまま、腰が抜けたようにへたりこんでいた。
“とにかく下手に動かないで!座ってて!”とっさに口をついて出た言葉は正解となった。マグネット式の扉だった食器棚の扉が開き、食器が流れ落ちては割れていく。母の足元に設置していた24型のテレビはケーブルを繋いだまま回転して落ちてきていた。

一段落着くと酷い胸騒ぎがした。テレビをつけると震源地は淡路島…。私が実の妹のように可愛がっている女友達の地区は酷い震度であった。

彼女はJR六甲道付近、あのまるで千歳飴を捻ったようにぐにゃぐにゃにネジ曲がった線路の近辺に住んでいた。

深夜とは言ってられない。何度も電話をするが、呼び出し音がするだけで応答がない。不安で仕方ない時間だけが過ぎて行く。

その頃彼女は、弟さんと同じ部屋に寝ていたらしい。強い揺れに目を覚ますと本箱がわりに使っていたカラーボックスの空間が足を挟んで逃げられなくなっていたという。“待って!逃げられへん! ”の言葉に弟さんがカラーボックスを上げ、足を抜く事が出来た。しかし、今度は玄関の扉が開かない。立て付けと噛み合わなくなり滑らなくなってしまったという。弟さんが自分達の部屋の窓ガラスをバールで叩き割り、やっと外に出られたという。その間も次々とプロパンガスの爆発音が迫ってきていたと…

よく見えない夜明け前。一旦避難場所に移動して明るくなった頃見に行った家を見て“二度と住めないな”と思ったと…。

実際をこの目で見ていない私に、目の当たりにする機会があった。震災から1週間、奇しくも友人の誕生日の1/22に西宮駅まで沿線が開通した。窓の外に見えたのは4階建てのマンション。完全に中央階が挟み込まれて潰れてしまっていた。のちに地震学の先生の解説を聞いた時の話。“この地震は横揺れの後に縦揺れが続いたため、一旦最上階まで到達し、最下層まで届く間もなく再度の縦揺れで中間が挟み込まれた形で潰れてしまったのだ”と…

あの時に生まれた赤ちゃん達は今年成人式。どうか忘れず風化させずに強く生きて行って欲しいです。

被害に遭われた数多くの方々のご冥福をお祈り致します。