結局小高に居たスタッフは、何とか家に帰宅し、原町から行った女性も無事でしたが、当日の通夜に移動していた担当と、御遺体は連絡がつかない状態でした。
原町としては何とか通夜の準備が整い、余震の続く中通夜を開く事が出来ました。回送者も被災された方が多く、顔を出しては
「まだ、家の人が見つから無いんで、帰ります」
と、言う人が多く少人数の通夜になりました。通夜中も余震による被害を出さない様に注意を呼びかける等、いつもと違う緊張感がありました。
家の方も何とかカミさんも息子も無事でした、かなり怖かったみたいです。何とか息子を連れて実家に避難してもらっていたので、私も仕事終わってカミさんの実家に向かいました。実家ではライフラインが寸断された為、納屋と実家の子供達は車に避難してました。父や弟とラジオで津波の情報と避難所の話を聞きながら、えらい事になったと、ジワジワと実感が湧いてきました。
原町としては何とか通夜の準備が整い、余震の続く中通夜を開く事が出来ました。回送者も被災された方が多く、顔を出しては
「まだ、家の人が見つから無いんで、帰ります」
と、言う人が多く少人数の通夜になりました。通夜中も余震による被害を出さない様に注意を呼びかける等、いつもと違う緊張感がありました。
家の方も何とかカミさんも息子も無事でした、かなり怖かったみたいです。何とか息子を連れて実家に避難してもらっていたので、私も仕事終わってカミさんの実家に向かいました。実家ではライフラインが寸断された為、納屋と実家の子供達は車に避難してました。父や弟とラジオで津波の情報と避難所の話を聞きながら、えらい事になったと、ジワジワと実感が湧いてきました。