ここのところ世間ではセクハラの追及が盛んなようで、あまりに行き過ぎではないかというカトリーヌドヌーブ(フランス人女優)の提言も出たりと結構な混乱ぶりです
カトリーヌドヌーブと言えば、我々世代の人間にはマリリンモンローか、カトリーヌドヌーブかと対比されるくらいのセクシーシンボルの女優でしたが、彼女の作品「昼顔」を真似たかのような上戸彩主演のドラマ「昼顔」がヒットしたので、知ってる人は知ってるかもしれませんね
映画界、芸能界にセクハラが常態化していて、権力者による若手女優やアーティストに対する酷いセクハラを糾弾する動きの中で、大物プロデューサーや監督などが槍玉に上がり、失脚しているようで、そんな糾弾の動きがどんどん拡まっていることに少しブレーキをかけるようにしたドヌーブの発言に賛否の声が渦巻いているようです
嫌煙権運動もそうですが、このセクハラ追及の運動も同じで、根本は主張していることは正しいことなんです
他人に健康被害や不快感を与える喫煙はやめて欲しいという嫌煙権運動はお説ごもっともですと言うしかないし、ましてや、他人に性的な嫌がらせや暴行を加えるようなことを糾弾するセクハラ追及の運動は必要なことなんです
ただ、カトリーヌドヌーブが言いたいことは、あらゆること全てが「その人が不快に感じたら、それはセクハラだ」という断定的な決めつけはいかがなものかということでしょう
そこには、どこまでが良くて、どこからがダメだという明確な線引きが必要じゃないかという彼女の考えがあるようです
私は彼女の穏健な姿勢を支持しますね
だってそうでしょう…例えば、ある男の人が好きになった女性に対して、その気持ちを何とか伝えようとすることがセクハラだと言われるようになって来ていると思うからです
人類が誕生して以来、男と女は互いに自分のパートナーを見つけ、子孫を残すことが当たり前だったわけで、その為には相手に自分の気持ちを伝えなければ、何も始まらないんです
ところが、自分の気持ちが相手に迷惑がられることも往々にしてあるわけで、それを一言でセクハラと決めつけられるとなると、大変ですもんね…!
昔の歌にこんなものがありました
いつもいつも
あなたの家の周りを
知られず飛んでる
私は小鳥なのです
昼も夜も
あなたの白いお部屋に
飛び込みたいのに
窓はかたく閉じたまま
これは男性ではなく、女性が好きな人のことを想っている姿を描いている歌でしょうが、いわゆる普通のラブソングとして成立してました
でも、今風に考えてみれば、ストーカー的な、気持ちの悪い女性だと言われる要素も含んでるわけですよ
およそ、恋愛というのは美しい恋だとか、ドロドロした恋だとか、様々な表現がありますが、全てある一線を越えればセクハラまがいのものになり得るものなんですよ
ドヌーブは「男性が女性に言い寄る行為は認められるべき」とね…
まあ、その逆もまたあっていいとも思いますけどね…
好きな気持ちを相手に伝えたい、そして出来ればその気持ちを受け入れて欲しいと思うのは、当たり前のことなんですよ
ただそれが何処までが妥当な欲求なのかですよね…
今の◯◯運動というのは、どうもそれが極端に走り過ぎていませんかというのが彼女の主張です
私もその通りだと思います!
例えば、最近になって、レースクイーン廃止を言い出すようになって来たとか聞きました
あれは女性を性的な差別の対象として扱っているということらしく、レース場にあんな水着のような格好をした女性を立たせるのは、女性を性的な対象としてしか扱っていないという主張のようです
そう言えば、ミス◯◯というものも最近では同じような主張により廃止されたりしていると聞いたこともありますが、言っていることが極端に走り過ぎていませんかと私などは思いますけどね…
確かに、レース場に水着の女性がいることが必然性があるかと言われれば、返答に詰まりますが、逆にレース場が女人禁制で男ばかりだったとしたら、あまりにも殺伐としていて魅力が無いとも思います
それが、女性を「◯◯の花」的な扱いにしかしてない男目線の現実なんだと言われるのは分かってはいますが、そこまで追及されないといけないほどのことなのかとも正直言って思うんですよね…
男も女も、その内面にあるその人の能力や魅力を評価されるべきで、単なる容姿、外形的な美しさだけを評価するのがおかしいんだと言われたら、それにもその通りとうなづくしかありません
でも、人が相手の内面にある能力や魅力に気づくには相当な時間と、付き合いが必要ですよね…そのきっかけになるのが外形的なものであったりすることはそれほど責められるべきことだとは思えないんですよ
男はすぐ女性の容姿を見て、一言「ブス」という言葉で片付けてしまうと言われますが、その逆もまたありますよね…
「デブとか、ハゲとか男性の容姿を責め立てる発言」もよく女性から発信されます
つまり、男も、女もまずは外形的なもので相手のことを知りたくなるか、ならないかを決めている部分を持っているんです
女性を性的な対象としてしか見てないからレースクイーンはダメで廃止するべきだとか、ミス◯◯もダメだと言う主張は、そういう自然な流れに無理やり棹差しているような感じを受けるんです
でも、それを言うなら、例えばビーチバレーなんかは、どうしてあんなユニフォームを着用しないといけないんでしょうね…?
あれは決まりがあるそうで、ワンピース型の水着じゃダメで、ああいうビキニで、しかも幅が何センチ以下とか決められているそうですよ
これこそ、究極の男性目線です
性的な対象として見せようとしてますよ
まあ、性的な対象と言えば露骨に聞こえますが、要は女性の魅力を発信して、ファン獲得を目指しているということなんですけどね…(ただし、それで集まるファンは男性がほとんどでしょうが…)
レースクイーンを廃止すべきだというなら、その前にこんなスポーツも同じことで扱わないといけないですよね…
結局のところ、セクハラなんて許すことはあり得ないという主張は正しいと思うし、女性を性的な対象、性的な関心だけで見ることをやめさせたいという主張も正しいと思うんですが、極端から極端に走り過ぎてもいけないということなんです
男が女性に、女が男性に興味を持ち、関心を持って付き合いたいと思うのが健全な社会で、それをあまりにギスギスとした監視の目で縛ってしまうのはどうなんですかね…と思うんですよ
だからと言って、不倫を正当化する人間を認めているということにはなりませんからね…誤解の無いように(笑)