ある人のブログで知った本だ。
その人は福井県で一、ニを争う(たぶん)ほど忙しい人で
多忙の合間を縫っておそろしいほど大量の本を読む読書家だ。
彼女が「おもしろかった」とブログにコメントを載せる小説なら
きっとおもしろいのだろうと買ってみた。
数十年のブランクがある読書習慣。
昨年だったか、一念発起して
このブログで読書宣言をしたのに
数冊読んだらまた読まなくなってしまった。
読むのが遅いから、読むこと自体に疲れてしまうのだ。
だけど、もう一度、ちょっとがんばりたくなった。
それで、信頼する読書家に後押しされたような気持ちで、
架空のX県に住む女性たちの生活を描いた小説、
『幸せすぎるおんなたち』を選んだ。
しかし。
……これ、まだ4分の1も読めてない状態だけど、
ツラい。
キツイ。
福井で生まれ育ち、ご両親の誉でもある長男の夫と結婚して、
さんざん味わった忌まわしい記憶が、この本を通して甦る。
過去に引き戻され、しまいこんだ怒りや恨みが顔を出す。
この2年半で夫は少しだけマシになった。
それは娘のおかげであり、
精神と体を病んでまで(意図せずして)
イエの病理を告発した息子のおかげなのだが、
それでもまだときどき
卑しさと攻撃性がミックスされた狂気が顔を出す。
だから私は、状況が変われば夫はまた元に戻ると考えて
警戒し続けているのだけれど、
そうこうしているうちに油断しぃの私は
グロテスクな歴史と事実に蓋をして暮らすようになったようだ。
それを時間薬、と言うのは田舎の人特有のまやかしだろう。
きっかけがあれば噴き出す。
つまり、まだ私の中で諸々は昇華しきれてないのだ。
有ったことを無いことにもできてないのだ。
それをこの小説は教えてくれた。
この小説にある出来事は私が味わったことの一部でもある。
架空ではない。誇張でもない。
息をつまらせ、心臓をバクバクさせながら、
数行読んでは休み、1ページ半読んでは休み、を繰り返している。
敦賀には、
「敦賀は嶺北地方よりマシだ」と言う人が何割かいる。
私の婚家先は寺だから寺ゆえの特殊性があるだろうし、
姑は大正生まれの武生市(現・越前市)の
農家の出身だったから、
普通?の敦賀の人たちとは私の生活経験が違って当たり前、
かもしれない。
が、敦賀の人には申し訳ないが、
数年間、敦賀の民間企業で会社員として働いた経験でいうと、
敦賀ネイティブのほとんどは
嶺北人のメンタルとそんなに変わらないように思える。
よくてせいぜい「マシ」でしかないレベルだ。
敦賀は嶺北と違って自由、と考える人たちは、
お膝元・敦賀の役所や民間企業に就職して働いてみれば
嶺北と同じ精神・価値観が
組織の底に流れていることに気がつくはずだ。
あえて嶺北との違いを言うなら、少々お気楽なところだろう。
余談だが、
福井のメンタルと似てると感じた他の県には茨城県がある。
(見栄っ張り、地縁血縁で固めて大騒ぎしたがる、
嫁の人権なし、大きく見せてセコイ、歪な手前味噌、等々)
が、茨城では昔から妙な女傑が出るし、
男どもは伝統的に粗野で風俗遊びがえげつないのが多いし、
この三十年で埼玉と接する部分が形の上で都会化したから、
地域差は大きくなっているかもしれない。