30日 おじいちゃんの葬儀。

おじいちゃんの名前の如く、空は青く晴天であたたかい日。


朝から叔父さんの木魚を叩く音でモーニングコール。

いたずらしすぎだけど許してね。


火葬場で最後のお別れをしました。
嫌だよ、おじいちゃんの体がなくなってしまうなんて嫌だよ。


火がつけられて…

母や姉や従兄弟達と外に出て、煙突から出る煙を眺めました。

晴天な空へ旅立っていく煙をいつまでもいつまでも見守りました。

最後まで残って従兄弟達と空を眺めながら、おじいちゃんの話をしたね。


今日は涙が枯れるまで泣いたけど、おじいちゃんが見守ってくれる事を信じて、明日からの日々を過ごすから。


わたしがいつか行く日まで待っていてね。一度も交わせなかったけど、お酒を一緒に飲もうね。


おじいちゃんが残してくれた言葉を胸に刻んで大切にしていくね。




ありがとう、おじいちゃん。












29日 おじいちゃんのお通や。


きれいな顔して眠っているね。


おじいちゃんの好きなもの用意したけど、どうだったかな?
黒あめ、お酒、プリン、ヤクルト、和菓子、コーヒー。
いつも遊びに行くとくれたよね。


年明けから食事がほとんど食べれなくなっちゃって、CVで補っていたね。
食べることが大好きだったのに、お楽しみ程度で出してもらっていたアイスも段々食べれなくなってしまっていたから……

だから、従兄弟と用意したんだ。


野球好きで定年後は草野球の監督していたから、最後はユニフォームを着て身繕いをしました。


棺に入れられた瞬間、ただただ布団で眠っている時とは違い、本当にもうあの世の世界に行ってしまったことを強く感じたよ。


お花に囲まれたおじいちゃんを見て涙が止まらなかった。

孫や曾孫で作った色紙や写真や折り紙や好物を入れました。



今夜はおじいちゃんの弟、叔父さん2人、従兄弟の5人で一晩を過ごします。

お酒が大好きだったおじいちゃんにかわって、みんなで飲んでいるからね。

思い出話が尽きないよ。


大好きなおじいちゃん、おやすみなさい。
27日 6時7分におじいちゃんが89歳の生涯を終えて旅立たれました。



最後の1年は入退院を繰り返し、何度となく危篤状態を乗り越えてきたけどついに天命を全うされました。


19日に東京から、孫や曾孫が来たときも『勉強頑張りな』と話し、一緒に写真撮ったよね。


25日に話した時は、わたしの名前を呼んでくれて、布団の中にある手を握ると、弱々しいながらも最後にギュッと握り返してくれたおじいちゃん。


今日の朝、5時40分に母からの電話。
こんな時間に…と思いながらも『おじいさんが…』の一言で、嫌な予感がしたんだ。
 

慌てて病院に駆けつけ、エレベーターを降りると、ナースステーションから『ピーーー』と聞こえるECGモニターの音。あの瞬間、間に合わなかったことを瞬時に悟ったよ。


病室に入ると、叔父さんや叔母さん、母や従兄弟達が泣いてる…
直後に先生が来て、死亡確認をされました。全身の血の気がさーっと引いて信じられなくて涙が止まらなかった。


嘘みたい。まだ、こんなに体が温かいのに……。前日まで4人部屋にいたのに。29日には先生から退院の話を聞く予定だったのに。


一人で逝ってしまったんだね、おじいちゃん。寂しかったよね、間に合わなくてごめんね。


死後の処置は、わたしも一緒に入らせてもらいました。

仕事で何度となく目の当たりにしてきてるけれど、身内が亡くなるとこんなにも悲しいものなんだと、犇々と痛感しました。

お尻、左右の腓骨にできた褥創をみた。1月に見た時より悪化していてポケットになってて想像以上だった。
おじいちゃん痛かったね……


看護師さんと一緒に処置をして、体を拭いて、着物を着せた。髭反りは叔父さん2人と母にお願いしました。こんなことも二度とできないと思って…
最後に化粧をさせてもらいました。
ただ眠っているようで、起こしたら目を開けそうなのにね。





おじいちゃん、おかえり。ようやくおうちへ帰って来れたね。