鳥の排泄物から芽生えた山椒の木が何本か、生えては枯れ、生えては枯れて、今雌雄一本づつが大きくなり、一本の若木が実をつける木だ。
山椒には雌雄があるのが普通で、花の形から違う。
うちの実山椒はもう何年にもなる木で、でも何年か前までは木を覆うほどに実をつけた。
残念ながら私はさほど実自体を好きやないが、煮魚に入れたり糠漬けに入れたりドレッシングに入れたりした。好きな人にお分けしても上は届かないから晩秋にキビタキが食べに来るに任せていた。
一昨年あたりから勢いがなくなり、この春はとうとうひとつの芽も出さなかった。
枯れてしまったのだ。
雄の木はかろうじて少し芽を出したが、勢いは良くない。危ないのやないか。
夫婦なれば、妻が先立てば夫は長く生きないという。男は、強がっていても弱いのである。
子に当たる若木はまあまあに芽を出している。
しかし山椒は、雌雄が揃わないと雌でも実をつけない。雌雄同体でない木だ。
雄の山椒が枯れれば若木は生きても実をつけなくなる。若芽は摘めるから木の芽和えはできる。
山椒は、苗を植えてもなかなか根付かない。
植え替えも嫌う難しい木だ。
鳥が落とした地生えの実りを、だからありがたく頂戴してきた。
このうちは、私がいなくなれば誰も維持しないだろう。だから先は長くない。
先の短い象徴のように、長くあった木が枯れてゆくのは、寂しくなくはない。
柿の木を切り、八朔を切り。
しかし、私がいなくなってうちを処分するならば更地にすることになるから、どうせ切り倒されてゆく庭木である。
新しく木を植えることは、もうない。
チューリップやパンジーやペチュニアくらいは植えるだろうが、できなくなればおしまいだ。
そうやって譲り渡して行くのが習いであるから当たり前。
春は別れの季節でもある。
この先新しい出会いは、少ないだろう。いろんなものや人を送り、また送って、そのうちに送られていく。
足腰がすっかり弱った犬が、今隣のソファにうまく飛び乗れて、ドヤ顔で私を見た。
そうだ、こいつを送ってやらねば、安らかには死ねぬ。
もうしばらく、頑張ろう、おー。