親愛なるタダ大選手へ。

あなたと知り合ってからとうとう二年が暮れようとしています。

背が高く、肌が黒く、無口。
この三つは本当にテニスがデキる人間の特長ですね。
ですが、タダ大選手はちがいましたね。

あまり上手くなく、本当に話さない人間でしたね。
そして、なにより名字が読みにくい方でしたね。

榎田と初めて絡んだ中連の日。
本当はよだと呼んでほしかったでしょうが
なにせ漢字が読めなくて
タダと呼んだ時の先輩とか関係なく小馬鹿にするようなあの顔。

今でも忘れていません。いや、忘れたくても頭から離れません。


それと、代名詞であったあの変態のニヤケ。
本当に女子を見るときの目は鋭かったですね。

そして、練習中にイタズラをすると出す嫌そうな表情。
その表情と、何かを失敗したときの言い訳。

その二つが僕のイタズラ精神をくすぐってくれました。

本当はもっともっとボコボコにしてやりたいような気持ちでいました。
なのでものすごーく後悔です。


土を掛けてみたり、練習中にケツを殴打したり、年一回の合宿でパシりと腹痛のきっかけを作り、シューズにうんこ書いてみたり、フック食らわしてみたり、ボールを当ててみたり...
本当に多くのことをさせていただきありがとうございました。

こんなことを数重ねて実行していると、いつからか僕への反撃が始まり、口答えもしょっちゅうで仕返しと取れるような事までされてきました。
本当に先輩という分け目を越えて「大物」「大選手」ぶりを遺憾なく発揮し出しましたね。


その、仕返しが成功したと感じたときのあなたの笑顔は僕のみならず、他のテニス部員にも多くの迷惑をかけていたこと、怒りを買っていたことを覚えておいてください。


本当に最後の最後に僕への一言が「身長を伸ばしてください。」
本当に怒りを覚えました。

「やった!日下さんおらんようになるということは、イタズラがなくなるやん!」といったうれしそうなその顔のおかげでイライラはよけいに積もるばかりでした。



しかし、僕は一年後にまた再開します。しっかりと得意なお勉強をして、僕の近くに来れるようにがんばってください。笑


↓真面目

しかし、ほんとに依田大選手とは多くの思い出があります。
高校で初めて絡んだのは依田大選手
だったので。
そして、練習中俺の近くにいるのが一番長かったのもあなたでしょう。
本当にできるやつだとおもってずっと一目おいてここ二年くらい見てきて、一緒に常に近くでやってきて
今依田大選手が府下にいけてないことは僕にとってショックだし責任を少し感じてる。


ほんまに冗談半分でいろいろがちゃがちゃやってきたけど、それは期待の現れだと感じ取っていただければ。


僕のプレーを見てどう感じたかは分かりませんが、少しでも見本になれていたのであれば幸いです。


正直大選手と共にプレーしていられた時期っていうのは本当に充実していました。


また、2014年から随時イタズラは再開しますのでよろしくお願いします。




ほな、また。

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ご卒業おめでとうございます。


三年間本当にお世話になりました。
みなさんのおかげで三年間通うことが出来たと思います。


ほんとうに感謝です。


ありがとうございました。

H23.3.1



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今日はテニス部のお別れ会でした。
まず本当に後輩のみなさんそして、メンバーありがとうございました。


去年僕らが先輩方をこうして見送ったのをまだ鮮明に覚えています。
来年は僕らの番かと思って、まだまだ先のように感じていましたが
実際はとても短い期間であり、やり残したことを数えれば山ほどあります。

一年生でテニス部に入る気はなかったですが、友達がという思いだけで入ってお別れ会でも言いましたが、こうして三年間やりきってこのお別れ会の場にいられることは不思議です。
よく三年間続けることができたな。と。

まず、テニスは後衛だというイメージが強くて、僕の今の前衛というポジションは、当時の吉岡さとしというテニス部員に素人ながらのストローク精度を朝日先生に見極められて負けた感じで前衛と言われたのがはじめでした。

一年生で周りのみんなのプレーを見ていると到底数年やって追いつけるようなレベルのプレーではないと
思ったのはまだ最近のように思います。
池辺、池口、塩尻、杉本、田中...その他多くの同級生を見ていると、出来ない自分を隠すので精一杯でまともに練習もしていなかったし、まず練習に参加する事をしていなかったので論外でした。
そんな転機は、一年生の合宿の二日目のときに当時部長であった立野さんに話しかけることが出来たこと。


これが僕の短いソフトテニス人生の方向転換。キーになる人物でした。

こんなに練習にも参加しないようなド素人に対して良くしていただいて、アドバイスなどなどしていただいたことが本当にありがたかったしそのおかげで練習にも参加するようになりました。

そして、一年生の終わりあたりに
僕らの学年は朝日先生に呼び出され、このままの気持ちでやるのであればテニス部をやめてほしいと言われました。
そのときはイライラでほとぼりが冷めるまでの一週間をちゃんとやっているふりをしてやろうとしました。
そして5日目あたりにすばらしいシュートボールが本当にたまたまで打てたことによって僕は初めて味わう打球感に心を打たれて
その感覚が忘れられなくて、もう一度打ちたいと思うようになり、気づけば何週間もあのシュートボールの感覚を追いかけて練習していました。

そのうちにもっとうまくなりたいと思うより、もう一回あの感覚が味わってみたいと思う気持ち。自己満足を満たすことが目標でした。


それでなのか当時のペアの田中と試合にでたがボコボコにされて試合で勝つことを本当にあきらめていた時がありました。

それから身近に太田という見事な成績を残す先輩がいることに気づきました。
試合に勝てる人の真似をすれば試合に勝てるだろう。
そんな気持ちでずっと太田さんのプレーを見よう見まねで真似してみて、僕には到底出来そうにないことは捨てて、出来そうであれば吸収する。そんな事を繰り返していました。

そして、冬には体育館の空き時間にひたすら立野、太田両先輩方と練習、指導をしていただいたり
相手にならないと分かっていながらもゲームに参加していただき
やはり自分が一番伸びることが出来たのはこの時期ではないかと。

そして、春にすぐに結果となって表れ
個人戦は府下にはいけませんでしたが敗活二戦目の府下まであと一勝のところまで、現ペアの杉本と行くことが出来ました。
そのことで悔しさより大きな次への期待を持っていました。


そして初めてお世話になった先輩方の団体のメンバーとして2年生として入ることができ、そう苦労せずに気づけばこの立位置にいたという感じで出場させていただきました。

その団体戦は府下にいけました。
でも、僕の感覚では連れて行ってもらったような感じ。
決して自分の力がチームの力になっていたとは考えられませんでした。

そして府下で僕らペアはゲームを一つも取れず負けてしまい、結局団体で負けることになってしまいました。

そのときに僕は泣いたのを覚えています。試合中に。

負けたあとに思ったのは、ギャラリーをみて僕らペアを応援してくれているみんなの姿。
入学当時は僕よりはるかにうまかった池口など。
到底越えることの出来ないと思っていた壁をいつの間にか越えていたこと。そんなライバル意識も持たずに自己満足を満たすことばかりを考えて練習していたので初めて周りをしっかりみたらすごい責任感が沸いてきて、もう負けてしまって朝日監督、そして代表として選出されたみんなの期待を裏切ってしまっている自分、そして僕の基礎を作っていただいた先輩方への申し訳なさ。

こんなものが一気に沸いてきて涙がでてきました。

ほんとに、あとにも先にも勝負事で最後の涙だと思います。

そんな先輩方も引退され、急に悲しくなったテニス部。
気力も、やる気もなくなった自分。そのときの団体予選の工業戦でひたすら打ち込まれるボールを僕らペアは拾いまくったがそのラリーでも試合でも負け、チームも敗れ杉本が涙した。ぼくもかなりくやしかった。このようにこれまで自分のプレースタイルは飛び込んででも、転けてでもボールを拾うガムシャラさだとおもってやってきたけど、そんな事はもう忘れ去ってほんとに気持ちは入部当時になっていました。

なにを目標にしてやっていいのか。そんな事をぼそぼそ考えながら身の入らない練習をひたすらこなしていた記憶があります。



先輩方が抜け、繰り上がるようにして僕らが一番手という扱いになりました。自分ではほんとうにやる気をなくしていたのでそんな事はどうでもよかった。
しばらくして、はじめての団体戦。
その三番手として、中村袖長ペアが入ってきて
自分たちの去年までの立場と比べるようになりました。

僕らが三番手だったときの絶対に勝ってくれる。まるで一勝のアドバンテージをもらって試合をしているような気の楽な団体戦。そして、府下に連れていける一番手。
そんな一番手になれたらいいなと。

それが新たな目標でもありました。
僕らとまるっきり境遇の同じ一つ下のペア。そんな2人に府下というものを通して僕が感じた責任感などを同じように感じてほしかった。府下に連れて行ってやる。


そして、見事団体で府下に連れていけることが出来た。
ほんとに行けるか行けないかの差はたった団体の中の一勝。
しかも次のある負けの決まったゲームでのこと。
そこで脚をつって思い通りに動けない自分。
どうせ団体では負けているんだからあきらめて次の戦いに備えよう。と言われた。ファイナルゲームの5-5で。

すぐそこに勝ちが転がっているのにあきらめる意味が分からず、転がってでもユニフォーム汚してでも勝てるのならやる。という僕が出した結論によって府下にいけたといっても過言ではないくらい。

これは結果論。結果的に団体戦の中の一勝でしたが、やっぱりチャンスは必ず掴むべき!だと改めて思った。

ある意味これで僕は燃え尽きたのかもしれへん。
この団体戦は僕らが二年の時の団体と同じく一回戦で敗れ、そのあとはずっと一回戦で負けて僕らの高校のソフトテニスは終わった。
出来れば最後の方の一回戦負けはもちろん嫌だった。でも、納得もしてる。
そして、そこまで深い後悔もしていない。


後輩ペアに府下を味あわせるっていう自分の目標は達成したと思ったから。
先輩方が抜けて腐りきっていた自分に火を着けてくれたのは紛れもなくその後輩ペア。


本当に長いようで短い時間だった。

僕という人間は本当に優れている。それはターニングポイントで必ずと言っていいほどいい人に出会えるという点で。

僕に対して熱心で的確な指導をくれた
朝日先生、鈴木先生、横島先生、寺沢先生
いろいろなことを教えていただいたりここでは書ききれないほどの多くを残してくれた
立野さん、太田さん、近藤さん、山崎さん、下戸さん、木下さん
そして、ペアを組んだ
ひか、杉、田中
団体で一緒だった
池口
迷っていた僕に新たな目標をくれた
袖長、中村
そしていつも応援してくれていた男女のソフトテニス部員。

そして、部活の送迎など担当してくれた僕の親。


ほんとうに多くの多くの人が関わって僕のソフトテニス部活動を応援してくれたし温かい目で見守ってくれたし背中を押してくれた。

この人たちのおかげで僕は勝ちたい気持ちよりも
楽しむ気持ちが強くなった。
いや、楽しまなければ申し訳ない。
楽しかったおかげでとても早く部活動できた時間は終わってしまったが、楽しむことを教えてくれたみんなのおかげで今までこうしてテニスを続けることが出来ているとおもう。

最初に三年間自分がソフトテニス部でいられたのが不思議だと言いましたが解決した。
その人たちにさいごに言いたいことがある。


「本当に感謝、感謝、感謝です。」
どうもありがとうございました。


最後ですが

これからといっても残り少ないし二年生のみんながどこを目指しているかは分からないけど、
勝つことが目標のすべてじゃないことは分かって。
それが分かれば大きく成長できると思うから。

来年のこの時期に僕のように部活動していた時間は本当に短く感じて楽しかったと言っていられるようにしてください。

それが最後僕からの願いです。







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