日本人は「茹でガエル」なのでしょうか? (抜粋記事)
日本人は「茹でガエル」なのでしょうか? 「私のことを、右翼の軍国主義者と呼びたいのなら、どうぞ、そう、お呼び下さい」(安倍晋三首相)、「改憲はナチスの手口に学べ」(麻生太郎財務相)、「憲法を改正し、国軍を創設する。命令に従わない兵士は、軍法会議にかけて死刑にする」(石破茂元防衛相)と公言する政権幹部を見て、おぞましいとは思わないのでしょうか? この連中が率いる自公維政権が、基本的人権を蹂躙する平成の治安維持法と言われる「特定秘密保護法」とそれを補完する「共謀罪法」を成立させ、さらに、解釈改憲という反則技で「集団的自衛権の行使容認」を決定し、「安保法制(=戦争法案)」を強行可決し、日本を戦争の出来る国にしたことを目の当たりにしても、彼らが「戦前回帰」を企図しているとは考えないのでしょうか? 園児に「教育勅語」を暗唱させ、「海ゆかば」を歌わせていた幼稚園経営者を首相が支援し、その経営者が「安倍晋三記念」と冠して設立しようとしていた小学校の名誉校長に首相夫人がおさまり、小学校の用地として国有地が破格の値引きで提供されていたのを見て、オカシイとは思わないのでしょうか?ここまで右傾化した政権を見ても、「自衛隊は志願制であり、日本には徴兵制度はないから、自分が戦争に行くことは有り得ない」と考えているのでしょうか? 現政権は日本最大の極右組織「日本会議」を後ろ盾に「尖閣諸島と竹島の領有権を主張する中国と韓国は日本の国益を損なう」「中国と韓国の外交姿勢は日本に対する礼儀を失している」とネトウヨや在特会を熱狂させる情報ばかり発信しています。そして、大手メディアを金品で誑し込み、かつ、恫喝して、大政翼賛報道をさせ、3S(スポーツ・セックス・スクリーン)で国民の視聴覚を占拠し、思考停止状態にしています。 日本国民は「茹でガエル」になってはいけません。平和を希求する国民は安倍首相の「極右体質」を見抜き、政界から退場させねばなりません。ドイツの神学者・マルティン=ニーメラーの言葉を御紹介します。■マルティン=ニーメラーの言葉(Wikipediaより)ドイツ語版Als die Nazis die Kommunisten holten, habe ich geschwiegen, ich war ja kein Kommunist.Als sie die Sozialdemokraten einsperrten, habe ich geschwiegen, ich war ja kein Sozialdemokrat.Als sie die Gewerkschafter holten, habe ich geschwiegen, ich war ja kein Gewerkschafter.Als sie mich holten, gab es keinen mehr, der protestieren konnte.— マルティン・ニーメラー財団による作成日本語訳ナチスが最初共産主義者を攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は共産主義者ではなかったから社会民主主義者が牢獄に入れられたとき、私は声をあげなかった 私は社会民主主義ではなかったから彼らが労働組合員たちを攻撃したとき、私は声をあげなかった 私は労働組合員ではなかったからそして、彼らが私を攻撃したとき 私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった(マルティン=ニーメラーの言葉は以上です) 私たちや私たちの子供や孫たちが、安心して楽しく暮らせる平和な社会を築くことが私たち大人の責任です。普通に考えて、オカシイと思うことは、オカシイと言い続けましょう。次の国政選挙では「戦争推進」を企図する候補を叩き落とし、「国民の生活が第一」と考える候補を国会に送りだしましょう。 『ストップ・ザ・アベ!』『ストップ・ザ・極右!』です。2018年8月25日マルティン=ニーメラー経歴(Wikipediaより)ノルトライン=ヴェストファーレン州のリップシュタット出身。ギムナジウム卒業後ドイツ海軍に入隊し、第一次世界大戦時にUボートの艦長を務めた。退役後、ミュンスター大学福音主義神学部に入学し、父と同じ牧師の道を目指した。1920年代のニーメラーは政治的には右派であり、1924年以降は国家社会主義ドイツ労働者党に投票していた。1931年、ベルリン=ダーレム教会共同体から聖アンネン教会担当牧師としての招聘を受け、翌1932年にニーメラーの牧師就任式がベルリン=ダーレム教会共同体のもう一つの教会であるイエス=キリスト=教会 (ダーレム)で執り行われた。この時期までは右派であり、アドルフ・ヒトラーの支持者だったが、教会からのユダヤ人追放政策に反対し、1933年9月に反ナチに転じた。告白教会の創立者の一人となりドイツにおける福音主義教会のナチ化に強く反対するようになった。ナチの教会に対する国家管理への反対行動によって、1937年から1945年までの間、ザクセンハウゼン強制収容所とダッハウ強制収容所に収容されたが、ホロコーストをまぬがれ収容所から生還した。戦後、1947年から1964年までヘッセン=ナッサウ福音主義教会の教会議長(他の州教会での監督に相当)を務めた。1948年から1956年まで在外ドイツ人の福音主義教会を管轄するドイツ福音主義教会(EKD)外務局長でもあった。 1950年代から平和主義者、反戦運動家として声をあげるようになり、ベトナム戦争中もホー・チ・ミンと面談し、反核運動でも活動した。ヴィースバーデンで没した。当ブログの一言 ※記事は「神前内科クリニック」からの抜粋です。記事では映画作家・想田和弘氏のコメントが紹介されていますが、彼は想田和弘の「観察する日々」で「私たちは、9条の亡骸を手厚く葬る。」という許し難い記事を書いた新9条論者なので割愛しました。山口二郎の「憲法で自衛隊を明確に位置づけるべきだ。」 想田和弘の「私たちは、9条の亡骸を手厚く葬る。」