うちの母はたぶん
アダルトチルドレンなんだ。
そしてその母に
育てられたわたしも多分、
アダルトチルドレンなのだ。
とすると、
もしかしてわたしの娘も
アダ…
やだー!
ぜったいやだー!!
わたしのせいでそんな…
彼女たちにはわたしの何倍も
幸せになってほしいんだ。
今朝、探し物をしていたら
子どもの頃の娘たちが
わたしにくれた手紙があった。
朝の支度で忙しかったけど
ちょっと開けて読んでみた。
「ママ。ごめんね。
わたしがバカだからあんなこと言ったけど
ゆるしてね。だからわたしの言葉を
むししないでね。
むしされるとかなしいです。
大好きだよ。」
…
わたし、最低やん泣。
たぶん下の子が悪さをして
ぜんぜんわかってくれないから
口を聞かなかったんだとおもう。
でもこんなに傷ついたんだなあ。
ちょっと懲らしめるためだったのに。
心の底からごめん。
もうひとつ。これは上の子から。
「お母さん、からだだいじょうぶ?
いつもおもうけど、はたらきすぎじゃない?
テニスの試合。いつも負けるのにみにきてくれて
ありがとう。次は勝つからね。
ゆっくりしてね。大好き。」
わたしをおもいきり気遣ってる。
小学生なのに。
自分のことだけでほんとは
いっぱいだろうに。
健気すぎて泣ける。
だめだ。
子供にこんなに
気を使わせるようじゃだめだ。
そしてわたしは
子どもたちから
こんなに愛されていたのだ。
子どもは親に無条件の愛を持っている。
セラピストさんが言っていたとおりだ。
わたしはちゃんとその愛を
受け取っていただろうか。
期待に応えていただろうか。
自分のことで精一杯なんだ、と
子供に目がいかない時も
あったにちがいない。
だからと言って、
子どもたちはわたしに
「あの時のこと、恨んでる」
とは言わない。
きっと心の奥底に
わたしへの悲しみや怒りを
うめてかくしているのだろう。
だからそれはもう、
わたしじゃないか。
最悪だ。
だけどわたしは
子どもたちのこと、
めちゃくちゃ愛してる。
あの子たちがきてから
わたしの人生は輝きだした。
辛いこともあったけど
嬉しいことがいっぱいあったし
命をかけても守りたいと
思えるものができた喜びがあった。
愛でなければやらないことを
たくさんやってきたとも思う。
でもできてないことも
たくさんあっただろう。
わたしだって人間だ。
ものすごい未熟な人間だ。
人を育てるなんて、
やったことがない。
しかも親に愛された記憶もない。
がんばってもきっと
そもそもの性格の悪さが邪魔して
自分勝手にふるまって
子どもをほったらかしにしたことも
わたしは忘れてしまっても
子どもの心には消えないようないやなことを
わたしがしてしまったことも
あっただろう。
申し訳ない。
わたしは未熟な人間で
愛を知らなくて
ちゃんと愛してやりたいと思っても
そのやり方を知らない。
もっと学べばよかった。
ごめんなさい。
悪気はないのだ。
ただ未熟なだけ。
人間として、デキがわるいのだ。
許してほしい。
それと君たちのよさはまったく
関係がないしむしろ
わたしよりもぜんぜんぜんぜん
何倍も何十倍も何百倍も
魅力的な人なんだ。
何も悪くないんだよ。
むしろわたしは救われた。
君たちがいてくれて
わたしは本当に幸せなんだ。
なんだか子供への詫び状と
ラブレターになってしまった。
怒ってもいいよ。
でもわたしのこと、
嫌いにならないでね。
前田敦子みたいな気持ちになってしまった。
逆か。
嫌いにならないで。
わたしのこと、
嫌いにならないで。
がんばるから。
おねがい。
この言葉。やけに刺さるなあ。
自分の親にも
自分の子どもにも
同じ気持ちを抱くんだな。