センシティブ
感受性が強い、傷つきやすい等の意で用いる
ケースを多々見かける。
よくセンシティブな性格などと聞くが、実際
傷つきやすいのか、社会的外圧に対して耐性
が無いのか、よく分からないが、自称繊細な
人間が増えている。
したがって腫れ物に触るような雰囲気の世界
というのもあるにはある。
しかし、よく見ると、それは存在を無視する
若しくは触れないというだけのものである。
一度、社会のフレームからアウトをしたなら
あとは存在していないのと同じである。
街中のホームレスも引きこもりも遺棄児童も
広義でいえば同じ扱いである。
ヌクヌクと社会的恩恵を受けている連中には
彼等を顧みるという意識が根幹的に欠落して
いるので、可視化を不要としている。
不必要な現実は可能な限り、見たくないので
目一杯、首を明後日の方向に捻るのである。
それでいながら、半径5メートルの友人達に
手前はセンシティブだとアピールする。
つまり、自分にだけ優しいのである。
町田町蔵がかつて、全くいい加減な現実!と
歌っていたけど、あれから35年の時を経て
社会は、なお鈍感さに加速をつけている。
立川談志は現実は事実、現実は正解と言った
それは真理だが、だとしたら目の前の現実は
何て絶望的にいい加減なんだろう。
感受性が強い、傷つきやすい等の意で用いる
ケースを多々見かける。
よくセンシティブな性格などと聞くが、実際
傷つきやすいのか、社会的外圧に対して耐性
が無いのか、よく分からないが、自称繊細な
人間が増えている。
したがって腫れ物に触るような雰囲気の世界
というのもあるにはある。
しかし、よく見ると、それは存在を無視する
若しくは触れないというだけのものである。
一度、社会のフレームからアウトをしたなら
あとは存在していないのと同じである。
街中のホームレスも引きこもりも遺棄児童も
広義でいえば同じ扱いである。
ヌクヌクと社会的恩恵を受けている連中には
彼等を顧みるという意識が根幹的に欠落して
いるので、可視化を不要としている。
不必要な現実は可能な限り、見たくないので
目一杯、首を明後日の方向に捻るのである。
それでいながら、半径5メートルの友人達に
手前はセンシティブだとアピールする。
つまり、自分にだけ優しいのである。
町田町蔵がかつて、全くいい加減な現実!と
歌っていたけど、あれから35年の時を経て
社会は、なお鈍感さに加速をつけている。
立川談志は現実は事実、現実は正解と言った
それは真理だが、だとしたら目の前の現実は
何て絶望的にいい加減なんだろう。