行ってきましたよ。
婆ちゃんの7回忌&妹の27回忌
婆ちゃんがなくなってからもう丸6年か・・・
妹なんて26年。
もし生きてたら29歳か。
時間が経つのは本当に早いね。
婆ちゃんが亡くなってひと月経たないくらいで名古屋に出てきたわけだから、僕が東海に出てきてもうじき丸6年ってことになる。
もうじき自動車業界に入って6年ってこと。
なんていうか・・・
あっという間だったな。
3つで亡くなった妹の写真を見て、今でも複雑な思いはある。
『残された人間としてできることをしてきたのかな・・・』と
そう、自分たちはいろんな人たちの思いを背負って生きている。
だからこそ、その思いを継いでいく責任もあると思うようになった。
子どもとかも結局はそういうこと。
正確には自分が欲しいという感覚とは違う。
特に小さいころからたくさんの人の世話になって育ってきた自分の生い立ち。
もう、生きている婆ちゃんは母方のひとりだけ。
そらそうだ、もう自分は36にもなるのだから。
小さい頃にはひい婆ちゃんとかまで生きていた。
通信で大学を出るにあたっては東京に住んでいる伯父さんに泊めてもらったり、他でもいろんなところで世話になっている。
だからこそここにきて痛感している。
繋ぐという重みを。
やたらな生き方してはならないという責任も。
もちろん、最初はそういうことを考えていたわけじゃない。
段々と感じるようになったのだ。
これから残された時間、どういうふうにいきていけばいいのだろう?
そういうことをふと考えさせられる日でした。
そうそう、実家に帰って
ずっと置いてあった、保管されていたかなり昔(6年前まで)の服をしこたま持って帰ってきた。
さぁ着られるか?
キチンと保管してくれていた母に感謝だが、
体重にして最大30㎏近い変動があったこの10年間。
デザインに傷み具合もそうだが、そのあたりがちょっと不安。
会社の検診でひっかかり、ヘルスワーカーと相談・約束して秋から計画的に絞ってきていて、ある程度の線までは戻ってきたけれど、まだ重いしたるんでる。
歳もとって代謝もだいぶ落ちてきていて落ちづらい。
で、これまでと違って、先のことを考えたらある程度の線で安定させるようにするべきなのは明白。
もちろん、元嫁と一緒にいた間も、最低限の節制はしていたから、極端なまで重くしてはない。
『ここまできたらヤバい』と決めていた線以上まではいってない。
(10月半ば時点ではその設定の上限近くだったが)
これから、計画的に半年内で最低でも5㎏
1年くらいで、できたら10㎏弱くらいおとさないと。
で、ある程度筋肉量もキープしないと。
また担当の保険師さんと約束して甘えで逃げないように追い込まないといけないね。
こういうときは他人に宣言して約束するに限る。
そうじゃなきゃできないもんね。
自分の性格。
結果を出すには他人と約束するに限る。
多くの人に公然と『・・・をやる』って宣言する。
これが一番まちがいなくやりきる秘訣ですね(^_^;)。
自分の意志なんてホントよわっちいもんなんだよね。
人がいるからこそ踏みとどまれる。
人の為って思うことは頑張れるけど、どうしも自分だけのこと考えると『もういいや』『まぁいいや』になっちゃう。これ、僕の美点というか弱点だよね^_^;