軍事オタクゼロの軍事ネタ。

 

来年は大東亜戦争(太平洋戦争)終戦80年の節目になります。

そして、昨日のニュースでは、ヒズボラの通信機器(台湾製)に爆発物が仕掛けられ多数の死傷者が出ています。

さらに、爆発した無線機の背面には日本メーカーの名前が書かれたラベルが貼られ、「日本製」と書かれていたという。

どうせモサドが仕掛けたと思いますが、まるでスパイ映画を観ているようです。

 

 

さて、人類の歴史は戦争の歴史といわれていますが、この原因(答え)はアインシュタインとフロイトが解明しています。

 

 

 

「ひとはなぜ戦争をするのか」 アインシュタインとフロイトの往復書簡。

 

 

 

1932年国際連盟からアインシュタイン(天才理論物理学者・当時53歳)へなされた依頼は、(今の文明でもっとも大事だと思われる事柄を取り上げ、一番意見を交換したい相手と書簡を交わしてください)

アインシュタインが取り上げたテーマは、ひとはなぜ戦争をするのか?

議論の相手に選んだのはフロイト(世紀の大天才、心理学者・精神分析学の創始者・当時76歳)

 

 

アインシュタイン

 

 

 

 

フロイト

カッコいいよね、通勤に寅さん風から、スーツで鎖付きの懐中時計にしてフロイト風にイメチェンしようかな(笑)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

原文の日本語訳(浅見昇吾)をそのまま紹介します。

 

56ページに及ぶ膨大な書簡なので、時間の許す限り数回に分けて紹介する予定です。

あくまでも予定なので、途中で放り投げするかも(大汗)

 

 

 

 

 

1932年7月30日 ポツダム近郊、カプートにて

フロイト様

 あなたに手紙を差し上げ、私の選んだ大切な問題について議論できるのを、たいへん嬉しく思います。 国際連盟の国際知的協力機関から提案があり、誰でも好きな方を選び、いまの文明でもっとも大切と思いる問いについて意見を交換できることになりました。 このようなまたとない機会に恵まれ、嬉しい限りです。

「人間を戦争というくびきから解き放つことはできるのか?」

これが私の選んだテーマです。

 技術が大きく進歩し、戦争は私たち文明人の運命を決する問題となりました。 このことは、いまでは知らない人がいません。 問題を解決するために真剣な努力も傾けられています。 ですが、いまだ解決策が見つかっていません。何とも驚くべきことです。

 私の見るところ、専門家として戦争の問題に関わっている人すら自分たちの力で問題を解決できず、助けを求めているようです。 彼らは心から望んでいるのです。 学問に深く精通した人、人間の生活に通じている人から意見を聴きたい、と。

 私自身は物理学者ですので、人間の感情や人間の思いの深みを覗くことは長けておりません。 したがってこの手紙においても、問題をはっきりとした形で提出し、解決のための下準備を整えることしかできません。 それ以上のことはあなたにお任せしようと思います。 人間の衝動に関する深い知識で、問題に新たな光をあてていただきたいと考えております。

 なるほど、心理学に通じていない人でも、人間の心の中にこそ、戦争の問題の解決を阻むさまざまな障害があることは感じ取っています。 が、その障害がどのように絡み合い、どのような方向に動いていくのかを捉えることはできません。 あなたなら、この障害を取り除く方法を示唆できるのではないでしょうか。 政治では手が届かない方法、人の心への教育という方法でアプローチすることもできるのではないでしょうか。

 ナショナリズムに縁がない私のような人間から見れば、戦争の問題を解決する外的な枠組みを整えるのは易しいように思えてしまいます。 すべての国家が一致団結して、一つの機関を創りあげればよいのです。 この機関に国家間の問題につての立法と司法の権限を与え、国際的な紛争が生じたときには、この機関に解決を委ねるのです。 個々の国に対しては、この機関の定めた法を守るように義務づけるのです。 もし国と国のあいだに紛争が起きたときには、どんな争いであっても、必ずこの機関に解決を任せ、その決定に全面的にしたがうようにするのです。 そして、この決定を実行に移すのに必要な措置を講ずるようにするのです。

 ところが、ここですぐに最初の壁に突き当たります。 裁判というものは人間が創りあげたものです。 とすれば、周囲のものからもろもろの影響や圧力を受けざるを得ません。 何かの決定を下しても、その決定を実際に押し通す力が備わっていなければ、法以外のものから大きな影響を受けてしまうのです。 私たちは忘れないようにしなければなりません。 法や権利と権力とは分かち難く結びついているのです! 司法機関には権力が必要なのです。 権力・・・高く掲げる理想に敬意を払うように強い力・・・、それを手にいれなければ、司法機関は自らの役割を果たせません。 司法機関というものは社会や共同体の名で判決を下しながら、正義を理想的な形で実現しようとしているのです。 共同体に権力がなければ、その正義を実現できるはずがないです。

 けれども現状では、このような国際的な機関を設立するのは困難です。 判決に絶対的な権威があり、自らの決定を力尽くで押し通せる国際的な機関、その実現はまだまだおぼつかないものです。

 そうだとしても、ここで一つのことが確認できます。

国際的な平和を実現しようとすれば、各国が主催の一部を完全に放棄し、自らの活動に一定の枠をはめなければならない。

他の方法では、国際的な平和を望めないのではないでしょうか。

 

 さて、数世紀ものあいだ、国際平和を実現するために、数多くの人が真剣な努力を傾けてきました。 しかし、その真摯な努力にもかかわらず、いまだに平和が訪れていません。 とすれば、こう考えざる得ません。

人間の心自体に問題があるのだ。人間の心のなかに、平和への努力に抗う種々の力が働いているのだ。

 そうした悪しき力のなかには、誰もが知っているものもあります。

 第一に、権力欲、いつの時代でも、国家の指導的な地位にいる者たちには、自分たちの権限が制限されることに強く反対します。 それだけではありません。 この権力欲を後押しするグループがいるのです。 金銭的な利益を追求し、その活動を押し進めるために、権力にすり寄るグループです。戦争の折に武器を売り、大きな利益を得ようとする人たちが、その典型的な例でしょう。 彼らは、戦争を自分たちに都合のよいチャンスとしか見ません。 個人的な利益を増大させ、自分の力を増大させる絶好機としか見ないのです。社会的な配慮に欠け、どんなものを前にしても平然と自分の利益を追求しようとします。 数は多くありませんが、強固な意志を持った人たちです。

 このようなことがわかっても、それだけで戦争の問題を解き明かせるわけではありません。 問題の糸口をつかんだにすぎず、新たな問題が浮かび上がってきます。

 なぜ少数の人たちがおびただしい数の国民を動かし、彼らを自分たちの欲望の道具にすることができるのか? 戦争が起きれば、一般の国民は苦しむだけなのに、なぜ彼らは少数の人間の欲望に手を貸すような真似をするのか?

(私は職業軍人たちも「一般の国民」の中に数え入れたいと思っています。軍人たちは国民の大切きわまりないものを守るために必死に戦っているはずです。 考えてみれば、攻撃が大切なものを守る最善の手段になることもあり得るのです)

 即座に思い浮かぶ答えはこうでしょう。 少数の権力者たちが学校やマスコミ、そして宗教的な組織すら手中に収め、その力を駆使することで大多数の国民の心を思うがままに操っている!

 しかし、こう答えたところで、すべてが明らかになるわけではありません。すぐに新たな問題が突きつけられます。

 国民の多くが学校やマスコミの手で煽り立てられ、自分の身を犠牲にしていく・・・このようなことがどうして起こり得るのだろうか?

 答えは一つしか考えられません。 人間には本能的な欲求が潜んでいる。憎悪に駆られ、相手を絶滅させようとする欲求が!

 破壊への衝動は通常のときには心の奥深く眠っています。 特別な事件が起きたときにだけ、表に顔を出すのです。 とはいえ、この衝動を呼び覚ますのはそれほど難しくはないと思われます。 多くの人が破壊への衝動にたやすく身を委ねてしまうのではないでしょうか。

 これこそ、戦争にまつまる複雑な問題の根底に潜む問題です。 この問題が重要なのです。 人間の衝動に精通している専門家の手を借り、問題を解き明かさねばならないのです。

 ここで最後の問いが投げかけられることになります。

人間の心を特定の方向に導き、憎悪と破壊という心の病に冒されないようにすることはできるのか?

 この点についてご注意申し上げておきたいことがあります。 私は何も、いわゆる「教養のない人」の心を導けばそれでよいと主張しているのではありません。 私の経験に照らしてみると、「教養のない人」よりも「知識人」と言われる人たちのほうが、暗示にかかりやすいと言えます。 「知識人」こそ、大衆操作による暗示にかかり、致命的な行動に走りやすいのです。 なぜでしょうか? 彼らは現実を、生の現実を自分の目と自分の耳で捉えないからです。 紙の上の文字、それを頼りに複雑に練り上げられた現実を安直に捉えようとするのです。

 最後にもう一言、つけくわえます。 ここまで私は国家と国家の戦争、すなわち国際紛争についてだけ言及してきました。 もちろん、人間の攻撃性はさまざまなところで、さまざまな姿であらわれるのを十分承知しております。例えば、内戦という形でも攻撃性があらわれるでしょう。 事実、かってはたくさんの宗教的な紛争がありました。 現在でも、いろいろな社会的原因から数多くの内戦が勃発しています。 また、少数民族が迫害されるときもあります。 しかし、私はあえて国家間の戦争をこの手紙で主題といたしました。国家と国家の争い、残虐きわまりない争い、人間と人間の争いがもっとも露骨な形であらわれる争い・・・この問題に取り組むのが、一番の近道だと思ったのです。 戦争を避けるにはどうすればよいのかをみいだすために!

 あなたがいろいろな著作のなかで、この焦眉の問題に対してさまざまな答え(直接的な答えや間接的答え)を呈示なさっているのは、十分知っております。 しかしながら、あなたの最新の知見に照らして、世界の平和という問題に、あらためて集中的に取り組んでいただければ、これほど有り難いごとはありません。 あなたの言葉がきっかけになり、新しい実の豊かな行動が起こるに違いないのですから。

 

心からの友愛の念を込めて

アルバート・アインシュタイン

 

 

 

 

全文をそのまま打ち出しているつもりですが、誤字脱字があればスルーしてください。

 

 

次回はフロイトの往復書簡(返信手紙)になります。