神の言葉にそむいて、

禁じられた木の実を食べ、
夫をも誘って律法を犯させることは、

エバにとって、
ささいなことのように思われた。

ところが、彼らの罪は、
不幸が潮流のようにこの世界に
流れ込む門を開いたのである。

誘惑のときの、誤った1歩が
どんな恐ろしい結果をもたらすかを
だれが知ることができよう。 

神の律法は
人間を束縛するものではないと
教える多くの人々が、

その戒めに従うことは、
不可能であると主張している。

しかし、
それが真実であるならば
なぜアダムは、
罪の刑罰を受けたのであろうか。

われわれの祖先の罪は、
この世に罪と悲しみをもたらした。

もし、
神の恵みと憐れみがなかったならば、
人類は全くの絶望状態に
投げこまれたことであろう。

だれも自分をあざむいてはならない。
「罪の支払う報酬は死である」
(ローマ6:23)。

人類の祖先に
宣告がくだったときと同じく、
今も、神の律法を犯して
その刑罰をまぬかれる者は
1人もいないのである。 

アダムとエバは、罪を犯してから
エデンに住むことができなくなった。

彼らは、
罪のなかったときの
喜びに満ちた住居に
とどまっていたいと、熱心に願った。

彼らは、
その幸福な住居に住む権利を
すべて失ったことを認めたが、
今後は、必ず
神に服従することを誓った。

しかし、彼らの性質は、
罪のために堕落し、
悪に抵抗する力が弱まり、

サタンが容易に
彼らに近づく道を開いたことを
彼らは知らされた。

彼らは、
罪のないときに誘惑に負けた。

であるから、今、
罪を知った状態においては、
忠実に従う力が弱まったのである‥‥

彼らは頭をうなだれ、
言い表せない悲しみをいだきつつ、
美しい住居に別れを告げ、
罪にのろわれた地に住むために出ていった。

かつては、
おだやかで一様だった気温も、
今は、急激に変化するようになった。

恵み深い主は、
激しい暑さと寒さから
彼らを保護するために、
皮衣をお与えになった。 

アダムとエバは、
花がしぼみ、葉が落ちるという
死の最初の徴候を見て、
今日、人々が死者のために
嘆く以上の悲しさを味わった。

か弱い優美な草花が枯れるのは
確かに悲しいことであった。

しかし、
立派な樹木が葉を散らすときに、
生きているものは、みな、
死ぬ運命にあるという厳粛な事実を、
はっきりと人の心に思わせるのであった。 

エデンの園は、
人間がその楽しい道から追われた後も
長く地上に残っていた。

その入り口は
警護の天使が守っているだけで、
堕落した人類は、
罪の入らなかったときの住居を
長い間かいま見ることを許されていた。

ケルビムが守っていた楽園の門には、
神の栄光があらわれていた。

アダムとその子らは、
ここに来て神を礼拝した。

かつて、
神の律法を犯したために
エデンから追放された彼らは、
ここで神の律法に従う誓いを新たにした。

悪のうしおが全地にみなぎり、
人々の悪行の結果、
世界が洪水によって
滅ぼされることになったときに、

エデンの園を造られた ”み手” は、
それを地上から取り去られた。

しかし万物が回復されて、
「新しい天と新しい地」が
  出現するとき(黙示録21:1)、

それは、
はじめのときよりも
もっと輝かしく飾られて
回復されるのである。 

そのとき、
神の戒めを守ってきたものは、
いのちの木の下で、
不死の生気を呼吸する。

そして、
罪のない世界の住民は、
永遠にわたって、この喜ばしい楽園に、

罪にのろわれなかった
完全な神の創造の ”みわざ“ の
見本を見るとともに、

人間が創造主の栄光に満ちた
計画を成就していたならば、
全世界がどのようになったかという
見本を見るのである。

【引用文献】
人類のあけぼの
第4章 エデンの園の悲劇

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