抹茶モンブラン -154ページ目

抹茶モンブラン

ほぼ愚痴です

子供のころの父は、無口で仕事ばかりの人で、笑い顔を見ることもあまりなかった。

子供の目から見ても、本当に男らしくかっこよかった。

母は、父は子供のことには全くかかわらなかった

とよく話していたが、父の子供に対する愛情は、いつも感じていた

自分の好きなことが一番の父でしたが、子供のためには惜しみなく体を動かしてくれた。

ただ、照れ屋で昔気質の父は、参観日とかは来ることはなかったし、子供の手をつないで歩くこともなかった。

それが母の言う何にも関わらなかった、ということらしい。

 

年老いた父は、昔の父とは変わった。段々と子供のようになって、良くしゃべるようになったし、

子供である私たちに頼るようになった。母には前にもまして頼りっぱなしだった。

それが年老いていく、ということなんだと思った。

年老いた父は父で、子供のように可愛く思えた。

認知症になっていたわけではないけど、しぐさも表情も子供のようになる時があった。

 

亡くなる少し前の日、父の病院に泊まって、初めて二人だけで過ごした。

いろんなことを話したし、父も昔のことを話した。

酸素のチューブが外れて直したとき、眠っていた父は目を覚まして、小さな声で、唇が動く音くらいの声で

「ありがとう」と言った。

その時はチューブを直したお礼だと思っていたけど、そうではなかった。

亡くなる数時間前まで意識はあったけど、その夜から3日後に父は亡くなった。

 

あの時の「ありがとう」は

父が自分の人生の終わりを感じて、言ってくれた言葉だったんだと、後から思った。

 

しっかり意識がある父と話したのは電話だった。

その電話の後病院にかけつけたが、その後話すことはなかった、

 

父は亡くなる少し前からずっと家に帰りたがっていた。

 

父の最後の電話での最後の言葉は

「帰ろう」

 

それが今でも胸に重く沈んでいます。

最後は家で迎えさせてあげたかった。

 

 

家で最期を迎える

というのは、本当に難しいし、迎えられる人は幸せです。

 

ただ、父の人生は、幸せでした

それは自信を持って言えるし、そう思っています。

 

今父のことを思うとき、心が何かに包まれるような温かさを感じます

それは

幸せに逝ったと思わせてくれる父の思いやり

 

父を思う事は、いつもその思いやりに包まれるという事

 

父の遺影は笑顔です