春になった。桜は咲いた。そして散る。だが、咲いたのは桜だけじゃない。「無償化で救われた」とされる連中も、ぞろぞろと高校の門をくぐっていく。
駅前のコンビニで、エナジードリンク片手に大声で喋り散らかす制服のガキどもを見て、あぁ、こいつらも“無償”で通っているのかと思うと、やはり納得いかない。無償化の恩恵を受ける資格があるのは、本気で学びたい奴だけだと、いまだに思う。
たしかに、制度としての無償化は「平等な教育機会の提供」という建前では筋が通っている。でも、現場を見ろ。現実はどうだ?くそみたいな偏差値30台の高校、廊下はまるで動物園。親も、子も、教師も、誰一人「教育」の本質に興味なんか無い。無償化という言葉に群がってきただけ。要するに、毒の再生産。
SNSでも「うちの子が高校行けた!無償化バンザイ!」と叫ぶ親たち。それは単に金の心配が減ったってだけで、子どもが社会に貢献する人間になる保証ではない。というか、なるとは到底思えない。むしろ行先やばいだろ。
皮肉な話だが、所得制限を撤廃したことで「本当に救いたい層」と「制度に甘えたいだけの層」が同列になった。結局、声の大きい“自称弱者”が得をする。
今月から知り合いの塾でも高校無償化と比例しその分、入ってきた子どもが増えたと言っていたが、は?。態度も成績も最悪で、結局「やはり根本学校もタダだとこうなるか」と講師達は嘆いていたそうだ。
無償化によって救われるべき「努力する生徒」が、くずに埋もれていく。これは、本当に残酷な話だ。
来月もまた、ろくに授業も聞かず、スマホばかりいじる高校生が、無償で学び、無償で育っていく。毒が毒を生む構造は、何も変わらない。