最近、『リブログOK』と変更されていたのに気が付いたので、リブログさせていただきました。

どうやってこのコンサートを知ってお越しくださったのかわかりませんが、何らかの宣伝効果で聴きに来てくださいました。きれいに写真も撮ってくださいました。


芸術は常に神秘的で、

私たちの物資的な世界からは説明できないものなのです。

感情のこもった世界。

どこからきたかもわからない世界。

それは私たちにとっては

人間と宇宙との関わりのようなものです。






マリア・ジョアン・ピリスの名言より。

マリア・ジョアン・ピリス(1944〜)
ポルトガルのピアニスト。
若い頃より、モーツァルト弾きとして注目を浴びた。

知り合いのご家族が、昨年の12月24日、25日に行われた 『犬と猫を譲る会』 と、

(12月24日 ブログ記事・クリスマスに幸せがありますように)

 

 

 

 

今回の譲渡会に行って、新しい家族(猫)を探しましたピンクハート

 


 

 

決め手は、一番寄ってきてくれる仔猫猫

 

そして、今回、推定4カ月の仔猫にご縁を感じたそうです猫

 

 

 

 

今日から、7日間のお試し期間。

この期間は、ゲージやトイレを無料で貸してくれるそうです。

健康状態も病院で診てもらってあるそうです。100点

 

 

 

 

ボランティアさんから、愛情いっぱいもらって育っているからか、

すぐに新しい家族にも慣れて、『すっかりウチの子♡』と言ってました。

ご家族みなさんにかわいがられていますピンクハート

 

 

 

 

どこからか拾われてきた仔猫ちゃんだから、

だれも、誕生日を知らない。

でも、ボランティアさんの愛情のおかけで新しい家族を探せたね。

これからは、新しい家族に誕生日を祝ってもらえるね。

今日が誕生日になるのかな?

 

 

 

新しいお名前は、今のところ「ふくちゃん」みたい。

ふくちゃん、幸せになってね。

 

 

まだ、犬70匹、猫250匹ほど新しい家族を待っているそうです。

ボランティアさんのお宅にも、10匹の猫がいるそうです。

この仔たちにも、幸せがありますようにラブラブ

 

2018年1月4日讀賣新聞 

左手一本 魂の音色 『病に負けず ピアノの道』を読んで。

 

 

記事より

 

 

舞台に立ち、左手の手のひらに文字を書く。

<音を楽しめ>

先月20日、奈良県生駒市のホール。いつもの儀式を終えると、岡田侑子(27)は、舞台上のピアノに向かった。右手は膝に置き、左手だけを鍵盤に乗せる。

曲は、ボルトキエヴィチ(1877年~1952年)が左手だけで弾くために書いた『詩人

ペダルを生かして響く低音に高音の旋律が重なり、独特の共鳴をもたらす。

岡田を「左手のピアニスト」の道に導いた師から教わった曲だ。

この曲が絶望から救ってくれた。

 

 

1990年(平成2年)、生駒市で生まれた。4歳で始めたピアノは、そのまま生きがいになった。

同志社女子大音楽学科に進み、「ピアノを人のために」と音楽療法士を志した。

1日8時間の練習を重ねたピアノ漬けの生活 しかし、突然崩れた。

大学2年だった秋、右手が痛み、ふるえた。

 

局所性ジストニアと診断されたのは、翌年の東日本大震災直後だった。

「何もしてあげられへん」と医師に言われ、泣きながら家路についた。

震災報道を見ながら「私の問題なんてたいしたことない」と自ら言い聞かせようとしたが、症状は悪化するばかり。「なんで私の右手なんや」。

母の規陽子は、ふだん弱音を吐かない娘の部屋から、鍵盤をたたきつける音が響いてきたことが忘れられない。

 

転機は、13年秋。左手のピアニスト 智内威雄(ちないたけお)との出会いだ。

兵庫県西宮市であった智内のコンサートで、ボルトキエヴィチの『詩人』を初めて聴いた。

左手向けの曲があることは知っていたが、その音色は岡田に別世界をもたらした。

喜び、悲しみ、寂しさ。客席で声を殺して泣いた。いてもたってもいられず、終演後の智内に『レッスンお願いします』と頼むと、笑顔が返ってきた『僕のやった方法を試そう』

 

 

智内は左手演奏のパイオニアとして知られ、現在は国内外で演奏会を開いている。

 

 

しかし、その歩みは平坦ではなかった。右手にジストニアを発症したのは、将来を嘱望され、独ハノバー音楽大に留学していた01年1月頃だ。さらに、不幸が重なった。同年の米同時テロ後、リハビリで長期休学していることを怪しまれ、独当局に強制退去を命じられたのだ。道を閉ざされる恐怖におびえた。教授や弁護士の働きかけで何とか滞在許可が出たが、このことがあって『ピアノが弾けなくても、音楽家として身の証しを立てたい』との思いを強めた。そんな時、教授から『君はピアニストだろう。』と告げられた。

手渡されたのが、左手用の楽譜だった。

 

 

第1次世界大戦後、戦争や病気で右手が使えなくなった人のための楽曲が多数作られたが、大半が埋もれていることを知った。
 
 
「左手の曲を世に伝えるのが僕の使命だ」
 
 
両手に劣らぬ演奏を目指した。「片手で頑張っている」と同情で評価されたくなかった。効率よく最大限の表現を生むため、関節や筋肉を自ら研究。納得の演奏ができるまでに3年以上かかった。そして、世界中の図書館や楽譜店を巡り、これまで70曲以上の楽譜を発掘した
 
 
 
「かつての僕のように苦しんでいる人たちに、希望を伝えたい」
今年11月には自宅のある大阪府箕面市で、左手のピアニストの国際コンクールを開く。
 
 
 
岡田は月に一度、箕面市に通い、智内が惜しみなく伝えてくれるテクニックを習得。音を楽しむ喜びを取り戻した。約、1年前からは各地で演奏会を開く。
今は、智内とともに、左手用の教本を作る構想を練っている。大学院で負担がかからない手の動きを学び、音楽家の病やけがを防ぐ研究をしたいと語る。「今は1日が48時間あればとおもうくらい、やりたいことがいっぱい。」そのまなざしは、未来を向いている。
 

ジストニア

体の動きを調節する脳の働きが変調を来し、意思に反して筋肉が収縮、硬直する病。

『局所性』は、指を酷使する音楽家やスポーツ選手に多く発症するとされる。根本的な治療は確立されていない。

 

この記事を書かれたのは、讀賣新聞 中川慎之介さんです。

 

 

 

この記事を読んで、ジストニアを調べてみたら、

音楽家におけるジストニアというのは、職業性ジストニアとも呼ばれ、音楽家の約10%が罹患しているとの報告もあるそうです。症状の特徴は、例えば、ピアニストの場合、打鍵時に早く動かしたり、指に力が入りにくくなり、垂直方向への打鍵運動が思うようにできない等の症状を訴えることがあるそうです。フォーカルジストニアは、演奏動作以外では症状がまったく現れないことも多くあるそうです。

スポーツも同じだと思いますが、酷使した分だけ心身に負担がかかっているのですね。

岡田さんは、良い先生に巡り合えて良かったです。

いつか、岡田さんと智内さんの魂の音色を聴いてみたいと思いました。