どうも。

 

スポーツや趣味っていろんな付き合い方があると思います。

 

例えば音楽、その道を突き詰めてプロデビューしたい!

いやいや、カラオケで気持ちよくなりたいだけ!楽器も買ったけど練習するプロセスや仲間と集まってワイワイやるのが好き。

どちらが上でも下でもないし、良し悪しもない。

でもたまに出てくる言葉、どうせならコンクールの応募しなよ、とか。

 

スポーツもいろいろある、社会人も、子どもたちのも部活も。

その道を極めてプロになりたい、アマでも表彰台を狙いたい…

社会人の場合は健康増進として…。

会社以外のコミニュティとして…。

でもたまに言われる言葉、大会に出てみよう、とか。

まぁ出るのはいいんだ、勝ち負けにこだわらずそのプロセスを楽しもうというのであれば。

ただそこから勝つことが目的になってしまったり、良い成績を出す、表彰台に登ることが第一目的になってしまうと、まわりとのギャップができることがある。

でもそれも本人が楽しむ過程で目的が変化していくことは十分理解ができる。

そこまではいい。

良くないのは自分がそういう気持ちになったから仲間みんなもそういう気持ちにならなければイカン!となってしまうこと。

この違い、伝わってますかね?

 

なかまも、ヨシそうだ、一緒に頑張ろう!ということであればそのまま目標を設定しながら邁進すればいい。

でもまわりが、そういうつもりじゃない、無理なく楽しみたいというスタンスならそれを尊重すべき。

 

スポーツって色んなジャンルがあるけど、うまい、速いというのが偉い、みたいな順列がまかり通っていると思う。

もちろん、競技目的の人たちだけの世界の中ならそういうのもあるでしょう。

私が好きじゃないのは競技をしない人、結果を求めない人は怠惰だ、という考えを押し付けて来ること。

なぜかそういう人たちは主張が強いので違う価値観の人には当たりがきつい。

 

お互いに目標、目的が変わった時点で、一緒に楽しむのは難しいと思う。

どちらも我慢することになると思う。

楽しみたくて始めたのにこれでは本末転倒。

 

以前も書いたけどギターメーカーのフェンダーのCEOであるアンディ・ムーニーが新規で始めるうちの90%1年以内に諦めている、という問題についてのインタビューこんなことを言っている。

 

ムーニーはまた、実際にギターを手に取った人たちが皆、次のジミー・ペイジやエディ・ヴァン・ヘイレンになることを望んでいるわけではないとも説明。

「楽器を手に取る人の72%が、新しいライフスキルを身につけるためだけだということがわかった」「だから、誰もが片足でモニターの上に立ち、風が髪を吹き抜けていることを望んでいるわけではない。ほとんどの人は、自分の家で静かソロで演奏し、好きな曲を歌いたいと思うでしょう。もちろん、本当に才能のある優れたプレイヤーを喜んで受け入れなければならないとも思います」
 

http://amass.jp/127956/

 

自転車愛好家として言うと、この世界にもそんなことはよく見聞きする。

自分は昔から運動が得意ではなく(そう思ってきた、子供の頃の体験がそう思わせていると思うけど本筋とは外れるのでまたいずれ)、唯一能動的に続いているのが自転車だ。

楽しみ方は実に幅広い。
・日常の移動手段の代替として。

・マイペースな運動の習慣として

・慣れれば比較的長距離が走れるのでツーリング的な遊びとして。

・もちろん各種イベントに出場や好成績を狙ったスポーツとして。

 

基本的な体力格差などで気持ちよく走る速度域は異なる。

自転車は一人でも楽しめるスポーツだ。

自分の好きなペースで走り、好きなようにルートを決めて、時には変更して気楽に楽しめる側面。

みんなで走ってどこかに行くことも楽しい。

大人であればグループ内で多少のペースの違いがあってもお互いに気遣いながらフォローして走る。

風景や行った先での食事などの楽しみをシェアする。

 

自分はどの趣味でもこんな感じの楽しみ方が好きだ。

みんなでそのプロセスを共有すると言うか。

「こうでなければいけない」なんてのは自分の中にあってもいいいけど人に求めるものじゃないと思う。

 

自転車も、他のスポーツも、ヨーヨーも、プラモデルもミニ四駆もラジコンもギターもカラオケも。

 

まとまってませんけど今日はこんなとこです。