先週末、従姉からインフルエンザをもらってしまったた湊ちゃんですが、徐々に回復して来ています。

寝る前に熱が上がるからか、泣きじゃくってしまいます。
鼻づまりが酷く、おっぱいも吸えずに苛立ち、毎晩30分おきの泣きで睡眠不足でグロッキー赤ちゃんなのにくまができています。
昨日は、少しだけお外の空気を吸いに、3日振りのお散歩「キョトン」としていました

熱は下がり、平熱に安定してきたけど少し咳が始まりました。


暖かいうちに3日振りにお風呂に入ったらご機嫌( ´艸`)
昨夜は姉夫婦が差し入れにお夕飯を持ってきてくれて助かりました
主人も忙しいのに早く帰宅してくれて、バトンタッチ。
小さな背中が辛そうにしているのを見て切なくなるママですが、みんなに支えられながら初めての看病頑張りまーす
元気になって遊ぼうねドキドキ


夫婦喧嘩は大変。
年の差カッポーなのに!?と思うでしょ?

フツーにあります。
乱闘ですウソ

覚えてる中でも数々の私の最低行為…

一度、湯通ししたそばを投げつけたことがあった。(゜Д゜反省)

激しいんですワレワレワ

ぃやぁ…分かり合える二人が喧嘩するとイヤらしいすよ…

やぁねぇ…いい大人が罵りあっちゃって


でもさ、喧嘩した後に激しくいやらしく仲直り出来ればいいんです
(ブヒヒm`∀´)m


そんな我々でも結婚三年目。。

こんな私を妻にしてくれた主人へバレンタインにlove letter。
「私達のために毎日無事に帰宅してください」
…とかその他love love綴ったのに!

あっさり
「どうも。ヨロシクね!」…と仕事帰りの「お疲れさん」的に返されたよ(´_ゝ`)

オジン!

ポォイポイッポォイポポイポォイポポポォイッ

湊ちゃんは最近、両手で両足を掴むのが大好きです

今夜もお父ちゃんの帰りを待つかのように、眠気の限界ギリギリまで起きてましたがようやくネンネ
お父ちゃんが遅い帰宅でチョット寂しそう
昨日、うつ伏せから、仰向けになる事が出来た湊ちゃん、今月はお粥も食べれるようになりました
寝る前にいつも一人で大爆笑しながら転がってます(笑)


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息子が田園調布カトリック教会でクリスマス洗礼を受けました。

洗礼名は「ペトロ」"石のように固い信仰心"と言う意味があるそうです。
また、尊敬するペトロ神父様にあやかって名付けました。

式の最中、湊ちゃんはグースカ寝ていました(笑)
頭に聖水をかけられてびっくり…起きていたかな(笑)
終わった後の従兄達、叔父叔母達14名で我が家で祝賀会&クリスマスパーティー

蓮君・しゅうくん・ルイージ・湊ちゃん・けいちゃん・れにちゃん

生まれて初めてのハッピーメリークリスマスでした。

ただいま~晴れ

石垣島の冬を満喫ちゅー飛行機の私達です。
ぜんっぜん寒くないのに、モコモコ帽子をかぶせられるギャップを感じる息子あせる

三年前の9月に、蜘蛛まっか出血で倒れた母が、職場復帰するため、手伝に急遽帰省。

くもまっか出血で母の命が危ぶまれたあの時、私は結納・結婚を控え、姉は妊娠後期だった。

二度目の出血で手術室に運ばれる母に、ロザリオを握らせた瞬間をおぼえている。

激しい頭痛と戦い、胃に穴があきそうな強烈な痛み止めを打ちながら意識を朦朧とする中、母はロザリオをしっかりと握っていた。

母は帰らぬ人になるのだと思い、訳の分からない感情でたまらなくなった。

何の用意もなく、心の準備もなく、人はこうやって死んでいくんだと思った。

…が…奇跡的に一命を取り留めて半身麻痺と言語と視覚障害が残った。

医者には「歩行はもう出来ないかも」と宣告された。

病院を転院させ四ヶ月間、必死のリハビリテーションを開始した。

昨日できた事が今日また出来なくなる過酷なリハビリ…母は私にそんなに愚痴もこぼさず、病院の言うとおりのスケジュールをこなしてくれた。

振り返ると、私はそうとうスパルタだ… 介護する私の愚痴を姉や主人はいつも黙って聞いてくれていた。

頑張ってるのは母さんなのに…分かっているのに私も弱い。

1人でトイレもいけなかった母が、杖をもち、歩き、障害者手帳を持ち、34年のキャリアの教職に戻る。

昨夜、友人らが「お前の母ちゃん、やってる事がかっこいーよ」と言ってくれた。

私達家族が進む道を支援してくれる人達が居ることに有り難い気持ちでいっぱいで言葉に出来なかった。。車の中で一人、涙が出た。


母を超える女性には一生かかってもなれない。


帰宅して部屋に戻ると母が息子と寝てくれていた。


マンマミーア生きてくれて有難う。


「ねぇお母さん。」と呼べて幸せな娘です。


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お誕生日に田園調布倶楽部にてディナー。
主人が予約してくれて、プレゼントなんて用意してくれてさ。
結婚してからの誕生日は喧嘩ばかりしていた気がする。笑

田園調布倶楽部、、素敵な店内で、フレンチのコースも中々のもの。美味しかった。

母になって初めてののバースディ。
去年の今頃は、新しい家族がいるなんて想像もしていなかった。


今日迎えた幸せが、当たり前じゃなく、周りに支えられて無事母になり、誕生日を迎えられたと、感謝の気持ちがこみ上げた夜。

出産してから、髪を振り乱しながらの育児に奮闘しているけど、ここ最近、少しずつだけど、外出するようになり、楽しさを憶えてきた。

何事も経験・・・だが、子を持つ親になり初めて親心を理解できる。
また、周りへ対しての理解が深まる理由がわかる。


赤ちゃんが産まれて、次から次へとやってくる痛みの嵐。

後陣痛、傷口の痛み、乳管開通の痛み、乳頭の皮が剥がれる痛み、腱鞘炎、夜中、二時間毎の授乳による睡眠不足での頭痛。。。

周りから「ちゃんと母乳あげなよ」「こんなに遅くまで起こしてていいの?」の何気ない一言に胸が痛む。いつもなら気にならない言葉に傷つくこともある。

先に母になった友達や、姉から「大丈夫?今が一番大変な時期でしょ。一人で頑張らず、周りを頼るんだよ」の声掛けに思わず涙した事もあった。

「頑張れ。」よりも「頑張らないでね」に心が救われる事もある。

今までのように自由の効かない身になったけど、「大変」の中に「尊さ」や「慈しみ」があるのだと、小さな命から学ばせてもらえた気がする。

色んな事を思いながらろうそくの火を吹き消した。涙が出そうになったけど・・・おっぱいを欲しそうに「じーっ」と見つめる息子を見て思わず笑ってしまった。

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とても幸せな誕生日でした。
新生児は忙しい。
泣く→おっぱい→寝る→うんち→起きる→泣く→おっぱい…を二時間サイクルで繰り返す。
ついこの間までおなかの中でプカプカ浮いていたのに…
なんて忙しい1日を送るんだ…
 
気付くと私はこの一ヶ月の平均睡眠時間が三時間…
日中寝ない子がやっと寝た!
さて、これから家事だ
でも思わず…
 
「そうちゃんはいいなぁ」…と寝顔をみて呟く(笑)
 
退院してこれまでは母がいてくれて、上げ膳据え膳の毎日。
お洗濯も全部やってくれていた。
 
母が帰り、一気に現実が押し寄せてバタバタと1日が過ぎ去るのがとても早い。
主人も赤ちゃんをお風呂に入れたり、おむつを変えたりと私が思っていたよりテキパキと世話をみてくれる。
 
毎日眠くて大変だけど、なんだろ…とても幸せな疲労感
お膝の上が結構好き

9月1日、11時54分
無事に、3050グラムの男児を出産しました。
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4日間名無しだった息子ですが、命名されました。

4日の朝、病室に来た主人が
「名前決めたょ。”そーすけ”」とポィっと言ってました。

我が家の長男、湊丞です。

湊ちゃん、よく来たね。無事に生まれてありがとう。

ママもパパも我が家の王子様にメロリンコさ。
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たくさん、たくさん遊ぼうね。
いっぱいいっぱい愛します。
陣痛の記録1のつづき▼

8月31日夕方、帰宅。

主人に、「今のうち仮眠取っててね」と優しさライセンスも使えた。

2時間後、眠くて眠くて、痛くて痛くて、「ふーぅ。。ふーぅっ。」と、自分のうなり声で意識がはっきりとした。

8分間隔で来る痛みは、腰をハンマーで殴られているのか?
と言う感覚で迫ってくる。
隣部屋で仮眠をとる主人に腹が立った。
「私は眠れてないのに、なんで、仮眠取ってなんて思ったんだろう。なんで、一人で痛みに耐えてるんだろう。。。」

痛みは理性を失うって聞いたけど思いやりも持てなくなるもの。

姉が未だ居てくれていたので、グレープフルーツのアロマで腰をさすってもらう。
腰を温めると痛みが緩和された。
陣痛の合間のどうでもいい「無駄話」が次の迫りくる痛みを忘れさせてくれる。
痛みに集中してしまったらパニックになりそうだった。

夜10時、姉たちが帰宅。

この時すでに陣痛は5分間隔、帰宅前に
「3分間隔になるまで病院に行かない方がいいんじゃない。また帰されても面倒でしょ」と姉に言われ、それもそうだと、ひたすら耐える。

夜11:00、つらい、痛い、眠れない。私の腰は今じゃアウトオブコントロール。

誰かに乗っ取られ、拷問をうけている気分。
主人に産道付近を指で押してもらうと楽になった。

5分間隔の痛みの間に3分が入った。痛みに耐える声は、うなり声化していたと思う。
声を出す。のではなく、うなり声が漏れる。

隣の部屋で寝ていた母が、「そろそろ病院いったほうが・・・」と何度か心配そうに声をかける。

「また帰されたら嫌だから、もう少し耐える。」とまだ喋れた。

傍らで、主人も心配そうにみている。


夜11時頃・・・このままじゃ、自力で歩けない。と感じた

病院へ。

内診室にて、「子宮口5センチ開大なので、このまま入院しましょう」
との言葉は嬉しかった。

反面、「えぇ?こんなに痛くて苦しいのに、12時間も経っているの・・・、センチしか開いてないの?」と少し気が遠くなった。

深夜の陣痛室へ。

神頼みではなく、赤ちゃんに頼んだ。
 
「そろそろ、出ておいでよ。もぅ9月になるよ。皆が9月に産まれてお出でと頼んだから待っていたんでしょう?でも、そろそろいらっしゃい。」

次の痛みが来るのが怖かった。

とてもとても怖くって痛くって、誰にもわかってもらえないのが辛かった。

痛みの合間に、友人から来るメールを見て気を紛らわせていた。

主人も母も言葉数が少ない人なのが辛かった。
雑談して気を紛らわせたかった。静かな部屋で痛みを待つのが耐えきれなかった。。

9月1日 朝6時 陣痛開始から40時間ほど経っている、

居眠りをする母が目に入った。
高血圧が心配だ、、家に帰してあげたかった。
迫りくる気を失いそうな痛みの中、人の心配をできる自分に笑えた。

ふと足元には、ずっと腰を支えていてくれている主人が、痛みの合間に居眠りをしている。
腕が痛そうだった。何十時間も産道付近を指圧してくれていた。

あの人、仕事人間なのに、2日連続休む事もないのに。。。などと、また人の心配をしている自分に笑えた。

丸二日間、まともに寝ていないので、意識が朦朧としてきた。

ここまで来て帝王切開は絶対に悔しいと思った。

ノンストレステストで、赤ちゃんが元気なことを確認。
子宮口は7?開大、お腹の強い張りも良好な陣痛の証。

あとは私の気力と体力にかかっていることは、のた打ち回りながらでもわかっていた。

痛みの波が来る度に、陣痛を理屈で考えようと頑張った。
無理。無理。無理。

いろんな意味で、「もう無理無理!!!」と叫んでいた(らしい)

痛みから開放されたいのか、幻覚をなんどかみた。地震が3度ほど来たし、ドナルドダックにも会った。
呼吸がやばかった。
呼吸法に集中しないとし死ぬと思った。自分ではリズムが取れない。
主人に頼みたくても、言葉、声が出ない。


なぜかトイレに行きたかったので主人に支えられながら起き上った。
じわっと下半身に生暖かいものを感じた。

「破水」!!!!!!

昨日からお世話になっている助産師志望の学生のYさんが駆け付けた。
白衣の天使に見えた!

Yさん「息を吐いて!吐ききって!そうすれば吸い込めるから」とリズムを取ってくれる。かなり助かった。呼吸に集中すれば痛みや力みを逃すことが出来た。

ズーーーーーーーーゥン!!!と赤ちゃんが産道を押しまくっている。

私「あ゙ッーーーーーーーーーーッ!!!出る感じ」

助産師「まだだ めです。子宮口全開大(10センチ程)まで頑張って」

主人「それってあとどのくらい?」
助産師「わからないです。この調子でいけば、いい陣痛が来ているので数時間ですかね」

気を失ってしまいたかった。

もう、体力が限界で、お腹を切ってもいいと心が折れそうだった。

母は、心配のあまり「促進剤」を口走っていた。

内心、「促進剤なんて嫌だ。ただでさえ痛いのに、人工的に痛みを起こされるのはもぅこれ以上耐えきれない。自然の痛みの方がまだまし」だと思った。

赤ちゃんと二人で頑張ると心に決めたのだ。
赤ちゃんが元気であれば、どんなに辛くても耐えられるとこの時に覚悟を決めた。

痛みで体が震えだした。
産道を進んでくる我が子はどんな状況か心配でしょうがなかった。

その時、胎動がまだある事に気が付いた。

普通、産道頭を固定した胎児は、動きにくくなると聞いていた。
なのに私の赤ちゃんは、しゃっくりして、お腹を蹴って、マイペースに生まれてこようとしている。

「なんてこの子は呑気なんだ。」

こんなに、せかせかした私なのに、産まれてくる子は呑気。
なんだか、狂乱している自分がちっぽけに思えた。

主人の顔が二重に見えた。景色が遠くなってきた。主人の顔、母の顔を見たかった。でも目が霞んで二重に見える。心細くなった。

その時!!

「分娩室へ移動します。kokoさん!!!聞こえますか!?赤ちゃん産むのよ!しっかりしなさい!!これからよ!!」

大きい声で言われているのか、耳元で言われているのか?
自分の意志とは別に陣痛の痛みとともに自分のうなり声が恐ろしかった。

分娩室にて

「力んでいいわよ!これから頑張って産むんだからね」

涙が出るほど嬉しかった。

突き進んでくる我が子に逢える。痛みが終わる。ひとりぽっちだった気がしていたけど、頭元には主人が居た。

立会してくれるか最後まで不安だったけど、そこにいてくれた。
アドレナリン大放出の私と違い、怖かったと思う。

二人で挑む事が、心強かったし嬉しかった。思わず手を握っていた気がする。

妊娠期間中、どんな思いで、私とお腹の赤ちゃんを思っていたのかな。心配だったろうな。いっぱい八つ当たりしてごめんね。と思った。

・・・と、同時に、痛みを共有できないことに腹がたった。笑

母が「私はここまでだからね。頑張るんだよ」と部屋を出た。
苦しんでいる娘を見送るのはどんな気持ちだったろう。

もう50時間近く陣痛と過ごしてきたのだ、痛みの波をカウントするのに慣れていた。
波に合わせて10回ほど力んだ。
強烈な○秘を出す感じ。(リアルですみません)
ここぞとばかりに、腹筋トレーニングの成果を発揮しようと思った。
あと、上腕二頭筋も使っておこうと。

助産師「ッハッハッハッハに変えて!」

私>キター!排臨しているな!?夢にまで見た終盤だ!
「っははっはっはっはっは!」

その瞬間 リズミカルに・・・ドルルゥン!何かがニュルリと体外へ。



「おめでとうございます!!!」

しわしわの赤ちゃんがぴょこんと出てきた。

声が聞こえない。

「泣かない・・・」とつぶやいた。心配で胸が押しつぶされそう。

その瞬間・・・

「ホギャーッ!ホギャーッ!」と低いハスキーな声で猫のような声が聞こえた。

言葉にならなかった。死んでもいいと思った。

ありがとう。ありがとう。あかちゃん、無事に生まれてくれてありがとう。

とてもとても疲れていた。感動して泣くこともできなかった。

でも、赤ちゃんが生きている。それだけで良かった。

主人がビデオを必死に撮っていた。
それより私に駆け寄って欲しかった。でも声が出なかった。

「おぉーぃ」と思ったが、意識が遠のいて、少し眠ってしまった。


強く希望していたので、へその緒が付いたまま腕に抱いた。

普段あまり感情を表に出さない主人が泣いたそうです。
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8月30日朝、お腹が少しばかり痛く、なぜかしらイライラする。
母にかるくあたったりしてしまい、なんとなく調子の悪いスタート。
2・3日前からおしるしがあり、ピリピリしていた。

お昼、出産前にどーしても!!と思っていたファミレス・華屋与兵衛のかき氷を食べに、姉と母と姉の息子たちとランチへ。
元気にむしゃむしゃ食べて帰宅。

姉の息子二人とお昼寝。

と・・・突然「ズーン」と鈍い痛みが下腹に響く

最初は「ん?」 だんだんと「ズズーン」「ズズズーンッ」
痛みの波が来る度に脂汗が。。。。ドキドキドキ。動悸が激しい。

っは!これは陣痛なんじゃ!!??とリビングにいた母に「陣痛始まったかも」と告げ、まだ軽いうちに入院の荷物を再チェック。

夕方19:00、15分間隔に訪れる陣痛。主人が帰宅。
「だいじょうぶ?」と声をかけられながら、先の見えない出産へ向けて備えるため、家族みんな順番にお風呂に入る。
食欲もあるので夕飯を済ます。

夜9:00、姉家族が帰宅。正直少し心細くなった。。。。

痛みは。相変わらず15分間隔。

痛みと痛みの間に睡眠を取るという過酷な夜を過ごす。。。痛みは強くなる一方。そしてずっと止むことがない。
一晩超すのにかなり疲れた。

8月31日 朝6:00頃~我慢できない。陣痛の痛みの合間に眠ることが出来なくなりつつある。

隣でコックリコックリしている主人に「限界かも・・・病院電話する。」

一度診察のため、病院へ。

子宮口3?の開きで取りあえず入院。

お昼・・・食欲ありで病院食を食べる。あれれ???

「あれれ?」痛みが遠のいている・・・・。((+_+))

内心、「微弱陣痛だったらどうしよう・・・最悪だ。もっとも過酷なレースになるぞ」と一番恐れていた事態へ・・・。

正直、痛み始めたら、そのまま出産コースへ行きたい。「まった!」なんてかけられたくない。
昨日、昼から激しく痛いのだ、もう、、、開放して欲しいと思った。


甘かった。。。。

私の出産ドキュメンタリの本番はここからだった。

陣痛が30分間隔になったり、10分間隔になったりと遠のいた。
お腹の張り具合や子宮口の開きから有効な陣痛ではないため、助産師に「どうしますか?ご帰宅されますか?」と聞かれた。
心細かったが、このまま病院でいても気が滅入りそうで、「一度帰ってお風呂でも浴びてきます」とサラっと言ってみた。。

この時点で、陣痛は10分間隔、痛みとしては、立ち止まらなければ耐えられない。
しかし、帰った。

陣痛の記録2へ続く