浅田次郎著「サイマー!」にこんな記述がありました。
才能などというものは、ほんのとるに足らぬ車のパーツの様なものだ・・・、
生まれや育ちも、学歴も、環境も同じ様なものだ。
人間は常に、思索と行動という両輪によって走っている。
そしてそれらを駆動させるものは「努力」というエンジン。
「良識」というハンドル。
右足は「勇気」というアクセルと、時には同じ名のブレーキを踏む。
そして左足はは全てが「分相応」に収まる様にクラッチ操作する。
これらの機能がことごとくバランスを保っていれば、人生の車はまっすぐ
走り続ける。
決してあわてることはない。
同著のあとがきにこんな記述もある。
天才という言葉を安易に使いたくない。
生まれついて格別に備わった才能は、誰にも少なからずあるはずだから
である。
その割りに天才を感じさせる人間がいないのは、あらかたの人々が、己の
才に気づかぬか、信じぬか、あるいは才の存在に溺れて磨くことを知らぬ
からであろう。
すなはち、己の才にいち早く気づき、かつそれを信じ、
才に恥じぬ努力を積み重ねることができる者だけが、
天才という称号を得られるのである。
言うのは易いが、これを現実に行うことができる人間は少ない。
天才が稀有であるそもそもの所以である。
世に天才を自称する天才がいないという理由もつまりそれであろう。
才に恥じぬ努力を続ければ、その才が大きければ大きいほど努力も
必要とされる。
そうして世に出ることが出来た者は、もはや誰も自分の才能など信じない。
努力の結果、当然かくあるものだと思う。
真の天才とはそういうものである。
もともと能力があるサラブレッドほど、自ら進んで懸命にトレーニング
するそうだ。
そう思えば非才を嘆きあるいは悲運を口にする人間は馬より愚かしい。
作家は流石にプロ。うまくまとめるものだと感心しました。
※「サイマー」という著書は、作者が己の趣味である競馬&ギャンブル
について書いた本です。お勧めはしません。
- 浅田 次郎, 久保 吉輝
- サイマー!