昨日モーション・ブルー・ヨコハマに行ってきました。

「月に2回もジャズライブだと?いい身分だなこのボンボンが!!」
とか言わないでください^^;
昨日はミュージックチャージが無料の日だったのです。
モーション・ブルーでは月に数回そういう日があるようで。

A Touch of Music!―モーション・ブルー・ヨコハマ


この日のアーティストは
河村留理子(vo)、嶋津健一(p)、馬場孝善(g)
という顔ぶれ。
河村さんのやさしい歌声に癒されました。
曲も"It's Only a Paper Moon"のような有名どころや、
はたまたジブリの"君をのせて"など、
なじみのある曲が多くて、私のような初心者にも楽しめました^^ゞ
"君をのせて"はちょっと、ジーンときました。



しかし、去年から何度かジャズライブに行きましたが、
ジャズってもっとソロのあとに拍手をするもんだと思っていたのですが、
みんな案外おとなしく?聴いてるんですね。
いやそこは拍手するよね!?と思っても周りがシーンとしてることがよくあります。
僕の感覚がズレてるのだろうか?
昨日も何度か独りで拍手して、いたたまれない気持ちになりました・・(´・ω・`)


でも終わった後、ヴォーカルの河村さんがやってきて

(´・ω・)「なんか中途半端な拍手してすいません・・・」
( ’∀’)「いえいえそんなことないですよ~」

みたいなやりとりがあったのでちょっぴり救われました、はい。


2/8にバースデイライブをなさるそうです。僕は行けそうにありませんが、一応リンクをはってみる。
河村留理子 BirthDay スペシャルライブ



うちの猫です。
ガードが固いのでなかなかシャッターチャンスがないのですが、
きのう運よく撮らせてくれました。


takki-の四次元ポケット






以上、取り急ぎ、(僕の)生存報告まで。

あ、きょうmotion blue ヨコハマに行ってきました。
あした書きます。
今年は本を多く読む年にしたいと思っています。
そして読んだ本は順次ブログに感想を書いていくことにしました。
ベタな使い方ですが・・・(^^ゞ

今日は福田和也氏の新書「人間の器量」を読みました。
「人を評価する物差しが、乏しい」という導入に共感するところがあり購入。
本の概要は以下の通り。



序章:「器量」の定義と人物例
筆者は「器量人」を「心が広い、度量のある人。能力がある、役に立つというだけでなく、個人の枠、背丈を越えて、人のために働ける人。何の得にもならないことに命をかけられる。尋常の算盤では動かない人間。・・・通り一遍の物差しでは測りがたいスケールを持っている」人と定義しています(p14)。
そして筆者が器量人と考える身の回りの人物とそのエピソードが紹介されます。

・1章:問題提起とその原因
「日本人は小粒になった、人物というべき人がいない」との問題提起がなされ、その原因として「(『人物』を)育ててこなかった(p33)」、「戦死に対する覚悟がいらなくなった(p41)」、ことなどを述べています。
「小粒」な人間の定義は、後半の原因分析から「知識と技量」の習得に腐心し、「教養と人格」を十分に身につけていない者と解釈するのが適当と考えられます(p67)。

・2章:「器量の大きい」先人の紹介
「器量人」として、西郷隆盛、横井小楠、伊藤博文、原敬などの先人の逸話が紹介されます。

・3章:器量を大きくする行動の提示
「修行をする」「山っ気をもつ」「ゆっくり進む」「何も持たない」「身を捧げる」、五つの行動が提示されます。

・終章:現代における「器量」の必要性
現代においてなぜ「器量」が必要かについて語られます(後述)。後半では筆者の半生が振り返られます。



~感想~
福田氏のお知り合いや先人のエピソードは非常に示唆的であり、身の引き締まる思いで読みました。
「知識と技量」が優先され、「教養と人格」がないがしろにされているという指摘には非常に共感します。また、
「『命』は何よりも大事だ、と誰もが思い、メディアが競うように宣伝している今ほど、命が軽い時代はない(p44)」
との指摘にはハッとさせられました。
他の命を奪わずには成立しえない、生きるということのグロテスクさが巧妙に隠された現代において、
命の重さを本当に理解することは難しいことかもしれません。
映画「命のたべかた」などはこのことに対するアンチテーゼなのでしょう。観ていませんが・・・(汗)
私は「食」という行為に含まれる死の存在が隠蔽されている現状を連想しましたが、
福田氏は戦争に着目し、戦争の経験が日本人に命の尊さを深く理解させたと述べています。


一方、「器量人」の紹介が内容の多くを占め、福田氏自身の主張があまり深く展開されていないように感じました。
特に残念だったのは、終章の「今の時代、なぜ器量が必要なのか」の分析です。
この問いに対し、筆者は人間の死に言及し、「(死は)平等に、誰にでも到来する」、「(死ねば)いくらお金があっても、・・・高級車も豪邸も・・・栄誉も経歴も、何の役にも立たない」としたうえで、
「死を、見苦しくなく、なるべく思い残すことなく、迎えるため」に器量が必要であると結論付けています(p161)。
これはあまり全体の内容とのつながりが感じられず、議論の掘り下げが浅いように感じられました。
「世のため、人のために尽力できる人間」が「器量人」であるはずなのに、
その必要性が個人の内的な動機によって語られるというのは、どうも納得し難いものがあります。


というわけで、文中のエピソードは示唆的で大変ためになりましたが、偉人の紹介に終始している感もあり、
筆者の分析・主張の深みにやや疑問符、というのが私の感想です。



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※読了時間:2時間、記事執筆時間:1時間50分。記事書くの遅い・・だろうか。