母の命日
又々暗い内容です。
今日の夕方16時16分
母は亡くなりました。
亡くなる寸前、私は弟と、母の寝巻を買いに出ていました。
選んでる最中父から弟の携帯に電話。
「お母さんの心臓が止まる!!」
それを聞いて、弟と二人ですぐ病院に戻った。
「嘘だ!!やだ!!間に合って…!!!」
店から病院までは5分もかからない場所にある。
病院に着いてすぐ、母の病室へ向かう。
病室に入ると父が私に
「ごめ~…ん!!間に合わなかった…ゴメン…。」
と私を抱きしめ泣いていた。
私は「大丈夫だよ、大丈夫だから…」と父を抱きしめた。
すると看護婦さんが
「まだ心臓動いてますよ。まだ大丈夫です。」
確かに心派数は3か2だった。
私は母に近づき、母は薄目をしたまま…。
「お母さん…。辛かったね、痛かったね…ゆっくり休んで…」と言葉にならない言葉で話しかけた。
母にその言葉が聞こえたかは解らない。
そして、今日の夕方16時16分に眠りについた。
今日は、仕事を休み取ったので、母との想い出に浸ろう…。
今日の夕方16時16分
母は亡くなりました。
亡くなる寸前、私は弟と、母の寝巻を買いに出ていました。
選んでる最中父から弟の携帯に電話。
「お母さんの心臓が止まる!!」
それを聞いて、弟と二人ですぐ病院に戻った。
「嘘だ!!やだ!!間に合って…!!!」
店から病院までは5分もかからない場所にある。
病院に着いてすぐ、母の病室へ向かう。
病室に入ると父が私に
「ごめ~…ん!!間に合わなかった…ゴメン…。」
と私を抱きしめ泣いていた。
私は「大丈夫だよ、大丈夫だから…」と父を抱きしめた。
すると看護婦さんが
「まだ心臓動いてますよ。まだ大丈夫です。」
確かに心派数は3か2だった。
私は母に近づき、母は薄目をしたまま…。
「お母さん…。辛かったね、痛かったね…ゆっくり休んで…」と言葉にならない言葉で話しかけた。
母にその言葉が聞こえたかは解らない。
そして、今日の夕方16時16分に眠りについた。
今日は、仕事を休み取ったので、母との想い出に浸ろう…。
二日間の母との会話。最終章
それから、年末にかけて、沢山の検査があった。
手術も何度かあった。
相変わらず管と点滴は付いている。
おかげで母は、食事も出来ない日が続いた。
一ヶ月位はたっていたと思う。
そして病院側で、癌の手術をしてくれる病院を探し、年末ぎりぎりになって、受け入れてくれる病院が見つかった。癌手術をするのに必要な器具がなかった為。
年末近くなって、移動となり、そのまま又入院
検査開始。
もう何度検査しているだろう…。気が遠くなる思いでいた。
母は時々、元気だったり、しんどそうな顔をしていた。
一日一日と日が立ち、年末前日、大きな手術をする事になった。
手術当日は、父と私と弟と母の親友が、役5、6時間の手術の間待っていた。
そして手術が終わり、結果は成功した。
母は手術後、集中治療室に入った。
管は変わらずで、血圧や心派数の機械、鼻にも管があった。
時々母は、うめき、手をバタつかせていた。
日が経って病室に入り、長い病院生活が約二ヶ月続いた。
そして去年三月、やっと退院。
父と母と弟の三人で我が家がある北海道へと帰った。
私も大阪へ帰った。
そののち一週間がたち、再発したので入院する事になり、父から知らせを聞いて、飛行機で母の元へ飛び立ったのだ。
又いつまでかかるか解らない先の遠い看病が始まった。
…かに思えたが、
母と話せたのは、たった二日間だけだった。
話しの内容はたわいもない話しだ。
私も口数少なくなっていた。
母は酸素マスクと点滴を付けられている。
いつになったら退院出来るのか…そればかりが気になっていた。
二日目に私は先生と話しをする事になり、先生から「もう、手の施し様がないんです。」と言われた。
私は頭が真っ白になった。
「何言ってるの?」と心の中で思っていたが、
「そうですか…」と言うのが精一杯だった。
残り二日、懸命に母の側で見守っていた。
先生は母を見て「もう睡眠薬は必要ないですね。合わせない人がいたら今の内に合わせてあげた方がいいでしょう」と。
でも次の日の夕方、母は
膵臓癌で亡くなった…。
手術も何度かあった。
相変わらず管と点滴は付いている。
おかげで母は、食事も出来ない日が続いた。
一ヶ月位はたっていたと思う。
そして病院側で、癌の手術をしてくれる病院を探し、年末ぎりぎりになって、受け入れてくれる病院が見つかった。癌手術をするのに必要な器具がなかった為。
年末近くなって、移動となり、そのまま又入院
検査開始。
もう何度検査しているだろう…。気が遠くなる思いでいた。
母は時々、元気だったり、しんどそうな顔をしていた。
一日一日と日が立ち、年末前日、大きな手術をする事になった。
手術当日は、父と私と弟と母の親友が、役5、6時間の手術の間待っていた。
そして手術が終わり、結果は成功した。
母は手術後、集中治療室に入った。
管は変わらずで、血圧や心派数の機械、鼻にも管があった。
時々母は、うめき、手をバタつかせていた。
日が経って病室に入り、長い病院生活が約二ヶ月続いた。
そして去年三月、やっと退院。
父と母と弟の三人で我が家がある北海道へと帰った。
私も大阪へ帰った。
そののち一週間がたち、再発したので入院する事になり、父から知らせを聞いて、飛行機で母の元へ飛び立ったのだ。
又いつまでかかるか解らない先の遠い看病が始まった。
…かに思えたが、
母と話せたのは、たった二日間だけだった。
話しの内容はたわいもない話しだ。
私も口数少なくなっていた。
母は酸素マスクと点滴を付けられている。
いつになったら退院出来るのか…そればかりが気になっていた。
二日目に私は先生と話しをする事になり、先生から「もう、手の施し様がないんです。」と言われた。
私は頭が真っ白になった。
「何言ってるの?」と心の中で思っていたが、
「そうですか…」と言うのが精一杯だった。
残り二日、懸命に母の側で見守っていた。
先生は母を見て「もう睡眠薬は必要ないですね。合わせない人がいたら今の内に合わせてあげた方がいいでしょう」と。
でも次の日の夕方、母は
膵臓癌で亡くなった…。
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