ふるさと舞鶴で過ごす…日曜日の早朝


大切な

大切な仲間からメッセージが届いた

そのメッセージをじっくり読んで感じだことを

私の感じたこと…として

彼女に返す

彼女は今この瞬間も大きなギフトと対話し
精一杯生き抜いていると感じる

そして私は

昨夜の午後7時頃の風景の写真を彼女に送信した

ふるさと舞鶴に帰省し

91歳になる母の話しをひたすら聴く

帰省の度

ほぼ同じエピソードを繰り返し聴き続ける

母と日常の会話をしていても

そこから

「お母さんは…で育ったで…」にスイッチが
入り
昔のネガティブなエピソードを繰り返す。

誰かにされたこと!誰かに言われたこと

表情豊かに再現する

まるでそのひとがここにいる様に

役者の様に振る舞いながら

話は止まらない

私も止めない

不明確なところは明確になる様に

事実を確認したいと思っていたので
質問をする

岡部明美さんの16期LPLの第1講が先日から
始まっている

もぉ氣付いている

今期の大きなテーマのひとつ

それは


母を観ていて感じる

私の中に母がいる

投影している

感情を抑えきれない時

私は身体全体で表現することを止められない

固まるし

怒りの感情は顔がめちゃくちゃ険しくなる

そして嬉しい時はめちゃくちゃ嬉しい顔になる

腑に落ちると大きく首を縦に何度も振る

その自分自身を受け入れる様になって来ていると感じる

そんな私は昨夜母に対し

自分の想いを伝えた

同じ話しを繰り返し聴き続けることは
とても辛いと

それに対し母から返って来た言葉で

私は炎上した

母はまるで切り札と言える様な言葉を
意地悪そうな顔で伝えた

私は身体を震わせ感情は抑えきれなくなり
91歳の母に対して激怒しながら叫んだ

お母さんから
「お前は橋の下で拾って来た子」と言われて
それを信じ込んで来た私が祖母の態度から
「としえはいらん子」と信じ込み
この家で育っていくのに人間ではなく
虫のように育っていった!と

子どもの頃

自分の身に起きる辛い出来事は全て

私はいらない子

橋の下で拾って来た子だからだ!に紐付けられていった

昨日の朝の連続ドラマで正にそこをやっていた

家とはなんだろう…

家に縛られて生きていくということ

私たちは何のために生きて育っていくのか

そして子どもたちを育てるのか

それは家のため!?

世間のため!?

財産のため!?

学歴のため!?

評価のため!?

私は私のために生き抜きたい

子どもたちも押し付けることはしない

子どもたちを育てると言うことは家のためではない
評価のためでも世間のためでもない

個々を輝かせ生き抜いていく

そのためにタッチフォーヘルスを学んでいる

岡部明美ちゃんのLPLを学び続ける

自分がされたり言われたりしたことは
しっかり細胞のひとつひとつまで刻まれている

自分が誰かに言ったこと
したことは氣つかないふりをして
感情の奥こそに押し込む

やってる!やってる!

私はよぉくやってる

母は私に言ったことは全く覚えがないと言う

私が母にされて辛かったこと感じている出来事も一切覚えていないと言う

母は
私を命がけで育てて来た!必死に育てて来た!

何度も繰り返しそぉ伝える

私は母に命がけで守られたと感じる体験がある

母に必死に育ててもらったと感謝の氣待ちが沸き起こる体験もある

私の中には

酷いことを言われなりされたりしたと感じる体験もある

両方ある

母と話していて昨年の15期LPL講座で

グループリーダーの菊池かおりちゃんの
個人セッションでカウンセリングを受けさせて戴いた時の不思議な体験がふと思い浮かんだ

この家を守りたかった祖母
私はそぉ感じている
実際は聞いたわけではない

祖母はかおりちゃんのカウンセリングの際
降りて来て

私に伝えてくれた

「としえ…ワシが悪かった!もぉ良い!」

母にその体験を伝えた

「おばあちゃんがね…もぉ良いって言ってるよ」って伝えた正にその時
私はハッとした

母の左肩の上!少し後方に銀の粒がキラッと光り
消えた

2人きりの居間に亡くなった父も祖母も
叔母たちもみな居てくれる

そんな感覚を感じていた

とても穏やかな温かさ

外は夕暮れ








時間は午前7時

雨はやみふと空を見上げると

私は立ち上がり戸の方へ

東の空に虹🌈

午後7時に虹が見られるなんて

母と2人玄関から外へ

「まぁ〜久しぶりに虹を見た」

母は嬉しそうに言った

虹は消えた

居間から見えるふるさとの景色

山々に靄がかかっている

その全てが薄桃色に染まっていた