私は現在大学生活をしながら、塾講師のアルバイトをしています。
自分で期待していたより長く働くことになり、かれこれ4年以上働いてきましたが、すべての子供たちに対してベストな授業、接し方ができているかと問われれば、正直なところ、今でも自信がないです。
それでも、テストでいい点を取ってきたときのうれしそうな顔、入試に合格して報告に来てくれたときの満面の笑みを見ると、この仕事をやっていて良かった、この子たちの人生に少しなりとも貢献できたのかもしれないな、と、嬉しい気持ちがわきあがってきます。
さて、そういうわけで、今日は塾・予備校等の教育サービス業について、個人的に考えてきたことを垂れ流します。
考察というほど大層なものではなく、ただ単に思ったこと、考えたことを書くだけです。
学歴社会と言われて久しい今日ですが、「塾」なるものが現われてきたのはいつのことなのでしょうか。
江戸時代ごろからあったと言われる寺子屋などは、そのルーツといって良いのかもしれませんが、ここでは現在の、教育サービスとしての学習塾を考えます。
塾なるものが特に台頭してきたのは、昭和40年代以降と言われているそうです。いまからおよそ50年前ですから、意外と浅い歴史ですね。
そして偶然かもしれませんが、日本の高度経済成長期と重なっています。
経済的に大きく発展したこの時代に塾がその勢力を広げ始めるというのは、なんだか因果関係がありそうですね。ないかもしれませんが。
ただ、戦後、欧米の法制度を参考にして日本国憲法が作られ、当然のことながら教育に関する法律もそれをもとにして作られたわけですから、それらの法制度および資本主義的価値観のもとに学歴社会というものが形成されていった、なんて妄想もできるかもしれません。
そのへんは、ちゃんと研究したわけでもないので勝手なことは言えないでしょうが、関係があったとしてもおかしくはないかなぁ、と思います。
それで、今日に至るまで、教育サービス業界は続いてきたわけですが、不思議なことに、最近の塾というのは、あいさつをはじめとする「しつけ」や、進路指導も行うみたいですね。
ただ、私からすれば、進路指導は学校の先生の仕事だし、「しつけ」に至っては、学校はもとより親がやっておくべきことじゃないの、と思ってしまいます。
それは決して、自分がそれらのことを指導するのが面倒だということではなくて、それを塾がやるの?やってしまっていいの?という疑問や懸念がわいてくるというだけのことなのですが・・・・・・。
私は、自分で言うのもなんですが、子どもたちには熱意を持って接しているし、彼ら彼女らが進路に悩んでいれば相談もするし、最低限の礼儀・マナーも折にふれて伝えているつもりです。
しかし、私は「講師」であって、免許を取得した「教師」ではないし、さらに言ってしまえば、人の親になったこともない、ただの大学生です。あ、もちろん教員免許取得を目指して勉強中ではありますが。
そんなしがない学生に、「しつけ」や進路のことを任せてしまうのって、危なくありませんか?それで本当にいいんですか?
進学塾、とくに集団授業を行っている予備校などは、そういった側面はあまりないのかもしれません。
こういう教科指導以外の側面を多分に持っているのはむしろ、個別指導の塾や、進学塾を含まない学習塾の方だと思います。
すべての塾がアルバイトの講師を雇っているわけではないにせよ、多くの塾はアルバイト講師が主戦力であると聞きます。
そういう所謂「素人」さんに、勉強はともかく、子どもの人格形成までも期待するというのには、なんだかある種の「ゆがみ」を感じずには居られません。
公教育にその機能が期待できなくなったからなのか、地域社会のつながりがかつてより希薄になっているからなのか、原因ははっきりと分かりません。
塾が進路指導やしつけに関わるというこの風潮は、近年叫ばれている「消費者至上主義」「消費側の過剰な要求」にもつながるところがあるのかもしれません。
まだまだ考えることは多いですが、現時点でかなり長い文章になってしまっている上に、内容も支離滅裂になりぎみなので、今日はここまで。