私は人を見る目が人より少し長けている。
それは、あまり嬉しくない理由で育まれた。


ケース1 中学受験
私は中学受験のため、学習塾に通っていた。

Aは人当たりの良さと、耳ざわりのいいトークで人気の講師。実際、私も好きだった。

Bは九州男児で生徒に厳しく、やや嫌われ気味の講師。私も怖がっていた。

いざ、入試。
私は当落線上の受験校に次々落ち続け、周りが受かっていくのを眺めている絶対絶命の状態。

A講師 「しん。まあ、受験だけが人生じゃないから、高校で再チャレンジでもいいんじゃない」。

B講師 「しん。あきらめんな。お前が頑張っていたことを俺は知ってる。受かるに決まってんだろ」。

最終的に私は合格。報告に行った時。

A講師は気まずそうに、気付かぬ振り。

B講師は職員室の後ろの方から駆け寄ってきて、「良かったなあ。受かった事実を誇りなさい。どの学校でも価値は同じ」と、涙ながらに喜んでくれた。なるほどなぁ。


ケース2 大学受験
これも一緒。

私は立て続けに大学受験に失敗。二浪の身。

調査書を高校に取りに行った際、率先して対応してくれたのは、オタクで怖い高1の時の担任の先生。

周りに生徒が集まっていたような先生たちは、「あいつうちの学校で二浪かぁ」みたいな顔で遠巻きに私を見ていた。

そのオタクで怖い先生も合格した際、わざわざ自宅まで連絡をくれ、喜んでくれた。なるほど、なるほど。

ケース3  労組をクビになった時
私は新卒後、労組で書記として働いていた。

そこを6年で、諸々の理由によりクビになった。

優しくしてくれたと思っていた人達が、次々と掌を返したように「しょうがないよね」と。

そんな中、「おかしいだろ。天下の労組が若者1人の面倒も見れないのか。育てる気もないのか」と、唯一啖呵を切ってくれたのは、普段は私に厳しい言葉を投げ掛ける地方支部の委員長だった。

結局。私はクビになった。だが、運良くアルバイトも決まり、無職にならずに済んだ。

後から聞いた話では、アルバイト先が決まらなかった場合は私を雇う用意をしてくれていたそうだ。

彼は私が退職してからもちょくちょく連絡をくれ、気遣ってくれた。その時も、私を雇う用意をしてくれていたことは言わなかった。

なるほど。なるほど。なるほど。そういうことなのね。

このような経験から、私は人の真贋がなんとなくわかるようになっていた。

そして今。


これからは、「私自身の人生」を歩んでいくことになる。


そのために、この『真贋』を見極める『心眼』を磨いていきたいと思う。


嘘っぱちのやりとりはしたくない。耳ざわりのいい贋の言葉でなく、心からの真の言葉で人に寄り添いたいのだ。


ここまでに培った『心眼』のおかげなのか、今、私は素晴らしい家族・尊敬してやまない師匠・かけがえのない友達に恵まれている。


そんな素敵な環境の中で、私の心眼磨きがはじまる。



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