あの悪夢の3、11

から一年

日本全国が、本当に忘れてはならない日です。
私の勤務先は病院

あの日は、たまたま、私は在宅の利用様の所に訪問中でした

古いマンションの五階に

ぐらぐらと揺れたかと思ったら、大きく、揺れ始めた

直ぐに、階段から避難出来ない利用様の家族に、室内での安全な避難の指示をだしてから、凄く揺れ動く階段を、ふらふらしながら降りてきた

(怖かった

)
外に出たと同時に直ぐに利用様に


大丈夫だとの言葉に一安心

病院に戻る途中に家族の安否確認

携帯片手に自転車走らせながら、少し時間かかったが全員無事を確認

急いで病院へ
病院に戻った時は、凄い事になっていた

上層部の指示に従いながら、行動しました。みな初めての事なのに団結力って、凄いと思いました

直ぐに、広い場所に臨時本部が設定され、そこは、いつでも救急患者の受け入れも出来る臨時の救急室にもなっている。まあ大型テレビがあり、あの津波の映像が流れていて~

凄い津波の映像にみな、声も出ない位~時々、余震もあり怖かった

病院には、東北出身の職員が多い。皆さん田舎の心配しながらも、懸命に職務についていた職員も沢山いました。一晩中 頑張ってくれた。帰宅難民者も病院に受け入れもしたらしい
(また

通勤者も多く帰宅難民のスタッフも沢山の人達が、その人達も懸命に患者や外からの帰宅難民を受け入れに協力)。凄く沢山のお礼のメールや手紙が病院に届いていました。
私は、高齢の義母親がいる為、病院が落ち着いた時点で、本部より帰宅出来る人は帰宅するように言われバイクで帰宅しました。帰宅中に、我が家のある付近は、地震と同時に停電していて、自宅で母親と娘が、ロウソクと懐中電灯の灯りで不安そうに待っていました。翌日には義父親の法要を控えていた。
主人も息子も帰宅難民者

2人とも、翌日の法要が気になり、主人は8時間、息子4時間歩いて

帰宅しました。
凄いなあと思いました。家族がみんなが揃った時には、安堵感が~電気も復旧して、本当にホッとしたのを覚えています。翌日、法要も無事に終わる事が出来ました。
休み明けに、勤務場所に戻ってからは、職員の家族の安否確認が出来ない人が沢山~ 安否確認出来たが、実家が無くなったとの報告が~
本当に辛い話ばかり~そして、数名の職員の家族の訃報~
そして、今でも行方不明のままの家族も~
本当に切ないです。 今だ、地震の恐怖が失せない中、更に、まだまだ地震の可能性があるとの日々のニュース~
どうか、これ以上、地震の恐怖は避けて欲しい

一生懸命に復興を目指して頑張っている東北三県、そして最近囁かれいる都心部や東海地震の事

どうか、どこにも地震がもう来ない事を神様に切に祈っています。