これまで国家の起源、本質とも呼べるものについて何度もご紹介してきました。
キケロなど設立説の考えといえよう。
国家とは、国民の物である。しかし、国民とはなんらかの方法で集められた人間のあらゆる集合ではなく、法についての合意と利益の共有によって結合された民衆の集合である。(アーフリカーヌス『国家について』第1巻39)
— キケロbot (@cicerobot_jp) January 11, 2021
KJ00004264403.pdf (kyoto-u.ac.jp)
多様性の尊重を盾に合意された法を遵守しない傾向が現代は多く見られる。
— 匿名人物Q (@Kp8Fhvh9oxTfzwj) December 9, 2020
正義を相対化し、専制(社会ダーウィニズム)のようなルールに中身がソクラテスの時代のように入れ替えられようとしているが、本当に普遍的な正義は否定されるべきものであるのだろうか?。
残酷なことに有益なことはない。なぜなら、われわれの導き手とせねばならない人間の本性に対してもっとも敵対するのが残酷さであるからである。(『義務について』第3巻46-47)
— キケロbot (@cicerobot_jp) January 11, 2021
ウル遺跡から発掘された粘土板から明らかになった4000年前のクレーム事件 https://t.co/mSZppzMLPj
— 匿名人物Q (@Kp8Fhvh9oxTfzwj) November 17, 2020
古代のクレームだが、新自由主義者そのもの。新自由主義の何が新しいん?と思う。こんな不正を正義と自由とし、クレーム言う人を侮辱し抑えつけるんを秩序と言うて正当化するんが新しいんやろか?。🥴