1995年、この年の夏も暑かった

 

 

 

始まりはまだ肌寒い3月ころだったか……

母からの一本の電話

 

 

癌が見つかり、入院するからすぐに実家へ帰れ と、

 

 

当時、結婚した相手の仕事の都合で

初めて実家周辺エリアを抜け出し

都会と田舎の中間点のような土地に越して来ていた私は

母親の看病と実家の商売、

そして父の生活の世話のため

 

 

長期間(まずはふた月位のつもりで…)

子供を連れ実家での生活に就いた

 

 

その生活がどんなものだったか

そこから私と子供の人生がどこへ向かったか

 

今回は省いてもいいですか……

いやぁ、省かせて貰います……

いつか、、また書ける日がきたら、、、

 

 

 

・・・

 

 

 

 

そこから月日は進み

翌年の夏

 

 

 

やっと3歳を迎えた息子の手を引き

猛暑のなか、長い商店街が続く一本道を叔父の家へと向かって、、

 

 

母親の弟である叔父の家は

最寄り駅からでも2㎞近くある少々不便な立地で

まして子供を歩かせながらとなると30分以上は掛かる道のり

 

 

暑くてぐずり出しそうな子供を

冷えた麦茶で誘いながら

何軒かのコンビニで涼ませながら

途中おまけ付き菓子を握らせながら…

 

永遠に思えたあの夏の炎天下

 

 

 

 

・・・

 

 

 

 

朝に家を出てから

3時間以上をかけてやっとたどり着いたそこに

叔父は居た

 

日曜日で叔母は何処かへ

息子である従兄弟も友人と出かけたと

叔父はひとり家に居た

 

 

 

母の入院、退院、その後の通院

実家の家業の切り盛り

叔父家族にもお世話になっていた

 

 

 

改めてお礼とお詫びをと

頭を下げておかねばならなかった

私一人では手が回らぬところを

代わりに動いてもらったのだから……

 

そして今後の事について

報告もせねば成らなかった…

 

 

 

・・・

 

 

 

 

でも、具体的にどんな話をしたか

ほとんど記憶に残っていない

 

ただ、あの夏の日の

あの暑さ

3歳の息子と歩いた

あの道のり

 

帰る私たちを

送るでもなく見送った叔父の様子

 

車はそこに止めて有るのに

叔父が毎日乗っている車が

すぐそこに有るのに

 

 

 

 

 

その事だけが強烈に記憶に残る、あの夏の日

 

 

 

・・・

 

 

 

息子はあの日なにを思っただろう

彼もなにも記憶に残していないだろうか…

 

あんなに歩かされて

それでも泣きもせず

ご機嫌でアイスを食べ

特急電車に喜び

帰宅して眠りに就くまで

何時もの笑顔でいてくれて

 

お腹も壊さず

熱も出さず

その日以降を過ごせたこと

本当に息子よ神よ、ありがとう

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わしたちは親子だけれど

この夏の日からの日々を

お互いを支え合い生きてきた

 

私にとって彼は同志なのだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

連日の猛暑

休日ともなると

気がゆるゆるで

今日はドジしてシコタマ歩いた…

 

次から次に流れる汗に

不意に想い出された夏の日

あの日のことを書いてしまったのでしたキョロキョロ

 

 

 

小さな子供は

大人の倍以上の熱をアスファルトの街から受ける

どうか お父さんお母さん

子供を優先してあげて下さいね~クローバー

 

そして長くなりそうな今年の夏アセアセ

出来れば、佳い思い出の夏にしましょ~よン飛び出すハート

 

 

 

 

んでは、、この辺で……バイなら合格