自分を認めること 他人を認めること
私は昔から考えることが好きなんですが好きというか 癖 なのかな答えが出ない問題を切り詰めていくことが好きあー、今回も答えは出ないなが私の中の終着点。私はずっと、自分の中にゆるぎない何かがあって、それを曲げることは一切なく今まで来ました。人の意見にすぐに左右される人は優柔不断で意志の弱い人だと思っていました。まあこの考え、正しい何かを得られたわけではないし、違った何かに苦しんだわけでもない特に支障のない 小さなプライドだったんですね。ある程度のプライドは今でも必要だとは思っています。それがこの先の何かの邪魔にならないのであれば。20代後半になってきて思うのは、どうしても治せない自分が嫌いになる考え方があること。これはどうも治せない。なぜか。目を背けないから。頭では消そうとしても感情が先だってしまう。簡単に言えば、他人に対する嫌悪感です。自分で自分を信じることはいいことだしこの感情とは長く付き合っていくしかないのか、と今は思ってもいますが、この考えは、自分の将来の成功にはとても邪魔なんですね。何が言いたいのかと言えば私のプライドは、私が生きてきて成功したと思っている事実と決して曲げたくない理想と意志。それにはきちんとした根拠があって、理由を並べられるし、詳しく説明も出来る。ただ、この治せない考え方も含まれたプライドなんですね。治したいのに曲げたくない。何を捨てればいいのかが分からない。どこまで従順に対応できるのかが分からないのです。人の意見はどうか。人の意見を取り入れることは簡単ではありません。信じるものがあるからこそ、対立したり、喧嘩したりするのだから。そしたらどこまで受け入れていくべきなんだろう。私は、このプライドを人に解いてもらわないといけないと思っています。信じるものが自分のみでは、きっと世界はとても狭く乏しい。そこに今ようやく気づけるところまできました。素直に、柔軟な頭になるのはとても難しいです。人は感情があって、これは脳とは直結していない気がします。人は少なくとも承認欲求があると思うので、自分を否定するのも実は簡単ではないと思っています。夢を持つ。出来るだけ具体的に、叶えたい夢をたくさん持つ。人生の道は夢へ向かって伸ばしていくべきなんですね。その夢を叶えるには、今の自分では到底無理なのです。軽く、柔らかく、素直に、それでいても確固たる何かを捨てずに。そこにたどり着けるものをたくさん探しては吸収して、自分を変えていくしかない。自分を認めつつも、他人に頼らなければならない。でもこれは?あれは?そんな終着点がないことを、今日もぐるぐると考えています。