震災から1ヵ月が経ちました。
改めて被害に遭われた地域の皆様におかれましては、
心よりお見舞い申しあげますとともに、一日も早い復旧をお祈り申しあげます。
この1ヵ月、この震災について自分の想いを記事にしようと何度か思いましたが
自分でも今回の未曾有の惨状をどう受け止めていいのか、今だ自問自答しております。
自分はこれまで自然災害の恐怖を直接には遭遇した事がありません。
ニュースで流れる映像を見る度に、これが同じ日本の中で起こっている惨状とは思えず
只々呆然とするばかりでした。
実際の被災地を見たならばこれまで遭遇した事のない感情になり、ましてや仮に自分や自分の身内が
被災者ならばと思うと想像を絶します。
そんな事を思いながらも、いつものように仕事をし、そして娘の小学校入学に喜んでいる自分もいます。
嬉しい事、楽しい事、幸せな事が起こると罪の意識を感じてしまいます。
自粛ばかりもしていられなくなりました。共倒れになってしまします。
「何か力になりたい」殆どの国民はそう思っているでしょう。身近なところから取り急ぎ義捐金をされるでしょう。
今回思ったのは、被災された方々への国民、世界中の人々の想いやる気持、そのパワーは凄いと感じました。
ただ、人を想いやる気持はもっともっと普通の生活の中でも必要な事であると思います。
まずは身近な人への想いやる気持をこれまで以上に意識してはどうでしょう。その想いは被災地まで波及すると
思います。
被災者の方々へ「頑張ってください」と声をかけておられますが、頑張りたいけど気力が無いのが本当のところ
ではないでしょうか。頑張らなければならないのは直接被害に合わなかった我々です。
苦難は幸福の門
震災から1ヵ月でこの言葉は早すぎるかもしれません。被災者の方々からは怒られるかもしれません。
天災ではありませんが、22年前に母親を亡くした時の悲しみは、自分がこれまで生きてきた中で一番辛く
そして本当に苦労に見舞われました。
しかし、今の自分があるのはあの苦難があったからこそです。母親は死をもって自分に最高の教育を
してくれました。20年と短い時間でしたが立派に育てて頂きました。
嬉しい事も、悲しい事もこの世で起こることは全て受け入れるしかありません。
今は被災された方々にとっては悲しくて辛くてやりきれないと思います。
この悲劇をどう受け入れ、これからどう生きていくのか。どう未来に繋げるのか。
全国民に問われています。
10年後、100年後、1000年後にこんな言葉を語り継がれるように
「日本は2011年3月11日より国民の想いが一つになり、世界に誇れる素晴らしい国に、あの日から変わった」