
5570日目
おはようございます。今日で震災から5570日目です。
本日は弊会の行事である型演武会です。
型の試合という感じではなく、ピアノの発表会的な趣きのうち独自の行事です。
フルコンだと型がおざなりにされて来た過去があるので、少しでも型に対する向き合い方を高める為の方策です。
空手にとって型と組手は両輪だと思いますのでね、先ずは一生懸命に稽古をする為の環境や方便を作ること、入口は沢山あって良いと思うので、どの入口から入っても分母が増えれば興味を持ち、深掘りしたいと思う人間の数も増えます。
そうすると場の認識が変化をするので、その場における型のポジションは上がるんですね。
ここまでが前振りで、そこから本当の型稽古に入って行けばよいのではないかと思っています。
空手にとって型は先人が遺してくれた理論の集積ですからね、この深みを知らずに空手を究めることはできないと思いますよ。
今日の日が良い日となるよう頑張りましょう!
後ほど会場で🙋

5569日目
5568日目
おはようございます。今日で震災から5568日目です。

ひろゆき氏の意見に同意します。
私もここで何度も言っていますが、体罰をしないで済むならしない方が良い。
だけど世の中には体罰、又は体罰と同等のショックを与えないと変わる可能性が低い人間が存在するのは確かだと思います。
人間は千差万別、性格も能力もバラバラなのに方法論が一つという方がおかしいと思いませんか?
私が育った時代は校内暴力や暴走族、家庭内暴力、カツアゲ、決闘などなど、暴力全盛で体罰も社会全体で推奨していました。
殴れば全部解決するわけではありませんが、言っても聞かない子供が殴られるのが嫌だからちゃんとするという事例は沢山ありましたし、心情的にそれが普通ですよね。
言葉の理解力、未来認知力が低く、感情や行動を理性で抑制出来ないタイプは言っても解らないですよ。
だけど痛みなら理解できる、一番理解できることで抑止できるなら、それが一番確実でしょう?
嫌ならちゃんとすれば良いだけですから。
現代の子は怒られた経験もない、殴られた経験もないから、人から受ける刺激に対する耐性がないんですね。
だから心が直ぐに壊れてしまう。
私が子供の頃なら、もやしっ子と呼ばれて揶揄されたようなタイプの人間ばかりになってしまった感があります。
私は小学校の伝説に残る程の体罰を受けましたが、どれ程の悪さをしたかと思うでしょう?
小学4年生の時に担任の先生が休んで自習になった時に、隣のクラスの担任が来た時にその先生を〇〇ちゃんと「ちゃん」付けで呼んだだけですよ。
その途端、有無を言わせずいきなり顔面を張られて、ぶっ飛ばされ、倒れていたところを蹴られ、起こされて投げ飛ばされというのを先生の気が済むまで延々とやられ続けました。
殴る、蹴る、投げられる、罵声を浴びせられ続けて、最後は黒板の前に正座をさせられました。
その私を覗きに来た隣の生徒も同じように殴られて鼻血を出して私の隣に正座させられました。
そいつは泣いていましたが、私はケロッとしてました。
あ〜ふざけすぎたのかな?と疑問形で反省したくらいで、次からは直そうと思ったくらいでしたかね。
打たれ強いですよね。
中学の時に体罰を受けた時も、あんまり痛くねぇな〜、俺が本気でやったら倒せるんじゃね?くらいに思ってました。
授業中に喧嘩をしたので、皆に迷惑をかけたから、まぁ殴られておくか〜みたいな感覚でしたかね。
体罰はしない方が良いが、有効な方法論の一つであるという選択肢は捨てない方が良いということだと思います。
体罰を全否定した人間の選択で、これだけ
弱い人間が量産されたのだからテコ入れして調整していくのが肝要なはずなんですけどね。

