11月4日、昨夜のアルコールは抜けている。
今日は街道歩きを小休止して大田原の光丸山法輪寺(こうまるさんほうりんじ)、西郷神社、大山巌元帥の墓所廻りを予定している。
交通の便が悪いのにはもう慣れたし、急がず/時間を気にせず・・と言いつつもちょっとだけは気にしつつ!!レンタカーは使わない。
西那須野駅前7時50分のバスに乗り、8時20分過ぎには法輪寺がある佐良土に着いた。
佐良土は門前町として栄えた様だ。民家のあちらこちらで「屋号」が掲げてあるが、集落内に同じ姓が多く相互に区別するためにつけられたと。
光丸山法輪寺は、約1000年前、慈覚大師の開基と伝えられる天台宗の寺院だ。
寺の前の川に鳥居が建ち、
境内には天満宮もある全国でも珍しいお寺だ。
▲光丸山法輪寺天満宮
山門の屋根は藁葺だ。
朝の静寂の中でどこからともなく琴の音が流れている
境内には樹齢800という「西行桜」がある・・東国花の寺百ケ寺といわれる。
西行法師がみちのくの旅の途中でここに立ち寄り詠んだという
盛りには などか若葉は今とても 心ひかるるさくらかな
天狗堂で、鼻の高さが1,3メートル、重さ1トンもある日本一の大天狗や天狗の下駄など拝観出来た。
平日はガラス越しでしか見られないが、運よく土日祝日は一般公開されていた。
10時過ぎ、も少しいたい気持ちがありながらもバスの時刻が近づいたので次に向かった。
大田原の中心街で時間を持て余し、12時過ぎのコミュニティバスで西郷神社に向かう。
明治維新の偉人の一人である西郷従道/侯爵元帥(つぐみち/じゅうどう・・鹿児島ではじゅうどうと呼ぶ方が多いかも)を祀っている。日本遺産に認定されている。
当時、不毛の地といわれた那須野原から大田原加治屋一帯を従弟の大山巌/侯爵元帥と加治屋の開墾に尽くし農場経営を行った。西郷従道の死去翌年の明治36年(1903年)開拓民との深い絆のもと建立されたそうだ。
西郷従道は、西郷隆盛の実の弟で大山巌は従弟だ。
生まれも育ちも鹿児島の私にとって奥州街道沿いから外れていても足を向けずにはおれなかった。
西郷神社前のバス停で帰りのバスを待っていたら、向かい側から女性が声をかけてくれた。そっちにはバスは来ないよ・・・こっちだよと??
そっちにはバス停の看板があるし、こっちには看板が無いのに????
こっちに渡り、(地元の方との事)話しするうちにバスが来た! ~危うかったぁ~
バスに乗り手を振り ~ありがとぉー~!!!
西那須野駅の近くにもう一人の偉人大山巌の墓所がある。
奇麗に整理された大山公園のもみじ並木は真っ赤にそまり、墓所はその奥まったところにある。墓所には入れないので外から手を合わせる。
西郷隆盛、西郷従道、大山巌の兄弟、従弟の生きた道は違っても近代日本の礎をつくった偉人達だ!!!
かみしめながら帰途に就く。