1日
蚊に刺されて未明に目が覚める。そのまま起きだし、お茶を入れる。お腹が空いたがご飯を炊くような時間でもないので、いただきもののスアマを食べ、本を読む。窓を開けると、遠くの家にも一つだけ橙色の灯りが灯っていた。雨が降っている。その中で負けじと虫が鳴いている。十月幕開けの朝。


2日
先ほどから愛犬が草むらに頭を突っ込んで何やら探っている。夢中で地面の匂いを嗅ぎながら、奥へと私を引っ張る。「もう帰ろう」とこちらは動かないでいる。犬と私と繋ぐリードは、ぴんと張ったまま。その真ん中にあたりに、赤とんぼがとまった。

3日
いつもガソリンを入れるスタンドの前を通りかかると、救急車が停まっている。老夫婦とパートのお婆さんの三人で切り盛りしているスタンドなので、(あれ、三人の誰かが、まさか)と思ったが、よく見れば給油に立ち寄っているだけだ。救急車も車だと妙に納得する。とはいえ昨夜から今朝は急激に冷え込んだ。これから屋外の仕事がきつい季節になっていくな。

4日
裏の農家Tさんの庭から、ゴォーという音が聞こえる。脱穀機が回っているのだ。この家は苺農家なので、お米は売り物ではなく一年分の自家用米だ。収穫したものを全て今の時期に玄米にしておく。この音は三日ほど続く。あちらこちらで柿が温かに色づきだすのも、この頃だ。

5日
暗い朝、靄の中を歩く。頭を垂れる稲穂の先に水滴が膨らんでいる。あぜ道に、色褪せた彼岸花が数本、痩せてきた茎を傾がせて咲いている。昨日の雨でできた水たまりを、白鷺が嘴ですくっている。遠くの道を、朝練に向かう中学生の自転車が行く。 


6日
雑木林の中の一本の大木に、朱色の実の烏瓜と紫の朝顔、ふたつが蔓を絡ませて、互いに季節を分け合っている秋。


7日
秋になり、陽の作る陰影が濃くなった。春に買った西洋オダマキの苗を地植えにした。ダンギクを植え替え、鉢を大きくした。園芸にいそしむ間、そばで数羽のヒヨドリが鳴き続け、勢いよく飛び回っている。秋は夏よりずっとにぎやかだ。

8日
草分けて歩くと、私に膝と愛犬のしっぽに、秋の種がびっしりと。散歩のお土産。


9日
朝。冷たい朝。窓をあけて寝床の片づけ。掛け蒲団をめくって湯たんぽを取り出す。それはまだ温かい。巾着型のカバーから出したものの、これほど温かい湯を捨てるのに戸惑い、胸に湯たんぽを抱えながら、窓の外、早くも熟れて落ちた柿が雨に打たれているのを眺める。

10日
稲刈りして、稲の根元が転々と残る白茶けた田んぼで、お灸をすえるように、籾殻を小山にして燃やしている。白い煙がゆっくり登っていき、遠くからでもよく見える。近くに行くと、小山の上で炎がチラチラ音もなく揺れていた。


11日
夜中に頭を齧られる。掛け蒲団を持ち上げると、その隙間からヌルッと滑り込み、私の左腕と脇腹の三角地帯に、くるりと丸めた身を沈め、軟らかい二の腕に顎を乗せてくる。起こされついでにあちこちを撫でてやると、ゴロゴロいう喉の音が布団の中から漏れてきた。もう夜は冬よと、毎年猫が教えてくれる。

12日
茹で栗を食べる。温かいココアを飲む。物足りなくてお煎餅を齧る。ほうじ茶が欲しくなり、ついでにチョコレートに手が伸びる。お八つが美味しい。指先のささくれに気づき、ハンドクリームを塗る。ヒヨドリの声に窓を開くと、田圃の野焼きの煙が高い空に昇っている秋の日。



13日
あぁいい香り、と、初めて思ったのは、いつもの辻で友達と別れて、家が近づいて来た時。何十年が経とうとも、金木犀の香りをかぐと、ランドセルの中で縦笛がカタカタして、近づいて来た運動会のことを考えてワクワクしていたあの時の私に、今の私は連れ戻される。

14日
縁と義理があって出席した四十九日の納骨。老女の骨壺を収める様子を眺めていると、線香が回ってくる。菊の花を手渡される。葬式饅頭が足りずに喪主が慌てる。皆はこれから寿司屋に会食に行くので妙に調子づいている。秋菊の花が墓石を背に線香の煙に霞んでいく。


15日
響いていた草刈り機のモーター音が止まる。刈った草の青臭さが満ちている。静かな中に、やがて煙が白く細く糸を引いて、煙草も香りだす。農夫の休憩時間だ。

 

#78『娘の力』

一面のラベンダー畑で幼い娘の姿が消えて慌てた――

そんな夢を見たのは、中学三年の時。
 

今、本当に母親になった私は、娘と車を降ります。

そこは一面のラベンダー畑。
「この花を嫌いなのを知ってるくせに」
「えっ?」
困惑する私に、娘は口を尖らせて言葉を重ねます。
「昔、夢で教えたじゃない」
 

 

#79『斑竜を飼う家』

町外れの林の中に、大きな古い家がある。木々の隙間から、白くて黒斑の巨大な生き物がチラと見えた。

恐竜みたいだ。

そうだアレは斑竜だ。夜中にしのびこんで見てやろう。

が、宵の内に出火し、その家は全焼した。

僕はあの姿を必死になって頭に思い描く。

すると我が家の庭で地響きが始まった。

僕は斑竜を手に入れた!

 


#80『お面の子』

秋祭りの帰り道。手にはヨーヨー、水飴、綿菓子。顔にはお面。

日は暮れがかる。

「あれ、一人多いよ」

四つ辻で、誰かが言った。

本当だ一人多い。ウルトラマン、仮面ライダー、鉄腕アトム、ドラえもん、そして――

「いや、いいよ。被ったままでいいよ」

また誰かが、ちょっと慌てて言った。

そのとたん、不意に怖くなり、ワッと、皆はちりぢりに家路に着いた。


 

#81『夜中の子供』

夫の実家に住み始めました。
田舎の古い家です。
夜中に裏の雑木林から笛の音が聴こえてくるので、幼い娘と窓から覗くと、赤いとんがり帽子の子供が笛を吹いています。
ふと違和感を覚えました。
私に子供はいないのです。
気がつくと傍らの娘は消え、とんがり帽子が「ママ」と駆け寄ってきました。

 


#82『髪をほどいて』

この夏は遊びまわりました。
秋になったので、夏の間に結っていた髪を解きます。
くしけずると、

はねつけた劣情の視線、

とぐろ巻く羨望、

軽薄な笑顔、

泡のようなはしゃぎ声なんかが、高原で剥いた白樺の樹皮や、

ビキニ姿で寝そべった海水浴場の砂なんかとともに、

髪の間からハラハラと落ちてきました。

 

#83『時の河』

この河に流れているのは『時』です。遡っていくのはお勧めしません。

ほら、赤い水が流れてきたでしょう。

上流でサーベルタイガーがマストドンでも捕食しているのでしょう。

あのあたりは人が棲む場ではないですな。

えっ? あぁ、そうですよ。この河には三葉虫の先カンブリアの海から、ヘドロまみれの現代の海へと繋がる億単位の『時』が流れているのです。

 

 

#84『古びた犬小屋』

田舎にある夫の実家での暮らしが始まりました。
敷地の隅に『沼田庸介』と、夫と一字違いの名前が書かれた朽ちかけの犬小屋が放置されているのを見つけました。
義父母に何気なく犬の事を尋ねると、
「いや、我が家は犬を飼ったことがない」
と、二人とも言い張ります。
じゃあ、あの犬小屋って何?

 


#85『花嫁行列』


誰もいない朝。突然の雨。夏も終わったのに、降り際に埃の匂いが舞い上がる梅雨のような雨。

空を見れば、美しく青いので、急いで田んぼまで走ると――

頭を垂れる黄金色した稲の遠く向こうに、小さく花嫁行列が行くのが見えた。

花嫁は、コンと鳴いていた。

 


♯86『砂漠の門番』

 砂漠の入り口に女がうずくまり、
「この先へは行けません」
と言う。
なぜ? と、問えば
「アナタは資格がない」
「資格とは?」
女の背後、遠くに赤々と炎が燃えている。
「墜落した旅客機です。ここから先はあの乗客たちの世界。アナタは生きているから彼らが見えず、だから資格がないのです」
女は獅子の体をしていた。

 

 
#87『最期の夜に』

凡庸な夫との生活に倦む私は、長い髪を解き、別人のような化粧をして夜の街を歩く。誰かに暗闇に引きずり込まれ、苛まれるが、求めていた刺激を見つけて喜悦に震えた。

折りしも市中には通り魔が出没していたが、快楽の中で死ねたら本望だ。

男の顔が見たくて、黒覆面を取ると、そこに夫の顔があった。


16日
一本道の先に集落がある。集落に入る手前にポツンと廃屋があり、道を挟んで向かいの田んぼに、無数の首が棒に刺されて立っている。首は美容師がカットの練習に使うマネキンだ。見れば廃屋は赤いとんがり屋根の廃美容院。そこを『首狩り田』と、密かに呼んでいる。

17日
「イイよね、犬は。うちもいたんだけど、死んじゃってね。辛かったね。家族みんな辛くてね。だからそれきり飼わないの、うちは。で、これね」梨園のお爺さんは、「これね、犬に食べさせてね」と、通りすがりの犬連れの私に、収穫したばかりの大きな梨を二つ持たせてくれた。



18日
早朝、蛇が日向に出ている。茶色の蛇。かなり長い。残暑は厳しいが、朝晩はぐっと冷え込む。陽が出るなり、こうして体を温めるのか。頭を少し浮かしてじっと虚空を見ている。近づくと消えるように滑り去った。

19日
犬の朝の散歩中、通りかかる家々では朝ご飯の支度をしていることが多い。出汁で玉ねぎを煮る甘い匂いは、おみをつけだろう。鮭を焼く匂いもよくする。温めた牛乳にインスタントコーヒーを落として混ぜている匂いがして、トースターのチンという音が鳴ったりしている。

20
菜の花みたいな黄色い蝶が飛んでいる。可愛くってしかたないや。

21日
昨日、彼岸の入りだったようだ。調べたら、今年は来週の火曜日までがお彼岸のようだ。正直なところ、ついこの間がお盆で、祖霊たちをお見送りしたばかりだけどな……なんて言ったら、罰があたるかな? 

22日
朝、庭の花を手折って墓場に行く。
曇ってジメつく、お彼岸らしくない朝。
気配に振り向くと女が立っている。知らない人だけど、先方は私を知っていて、健康や美容の話して、忘れたと言うのでライターを貸した。菊の紅色が鮮烈な暗い墓場に、線香の香りが漂いだした。



23日
暗くなってから犬と歩く。音がして顔を上げると、道沿いの、ある住宅の二階の窓がキュルキュルと、今、閉まったところ。そのすりガラスには、蛍光灯ではない室内の橙色の灯りと、白いランニングシャツの姿がぼんやり映っている。

24日
乾いた秋風強く吹く中を、二頭のアゲハが絡み合いながら、どこまでも高く高く昇っていった。

25日
濃紺の夜空に橙色の上弦の月(半月気味)。その周りに夜空でも際立つ白さのかすれ気味の雲がある――今、絵を描く時間がないので、とりあえず文章で書いておく。

26日
睡蓮鉢の水が極端に減っている。またもやハクビシンの襲撃だ。田んぼの向こうの雑木林を伐採し、家を何件も建てている。狸やコジュケイが来るようになったのも、メダカが食べられるのも、林が消滅してから。濁った水の中に数匹残った小メダカを見て呆然とする秋の朝。

26日#2
小山の形に刈りあげた緑の中に一点、躑躅の紅色が狂い咲いている。時差ぼけの愛らしさと見るか、不吉の前兆とおびえるか。



27日
薄曇りの朝、窓辺にいて、ふと気配に外を見る。なんだ、木の葉が散り落ちる音だ。桜は葉の落ちるのが早い。

28日
「今年は柿が豊作だよ」と言われて見ると、そこいらの木に実がなっている。もちろん、まだどれも真っ青だが、ちゃんと柿の姿形をしている。それで、これが柿の木だったことにようやく気付く。

29日
夏の夜明けの雲は薔薇色だった。今は乳色がかる金木犀の色をしている。秋の色をしている。


30日
薄手の長袖一枚でOK。ザクロが実っている。雑木林の中で、忘れた頃に蝉が鳴く。百日紅が終わりかけ。でもまだ勢いよく咲いているものもある。中旬過ぎて金木犀の香りがちらほら。雨の翌日、田んぼ道で死んだモグラを踏む――何年か前のノートに9月の事がこう書いてあった。今年は夏の気配に隠れて、9月の影は薄かった。

1日
歩くと片足がカリンコリン鳴る。いつの間にかスニーカーの靴底がひび割れて、そこから入り込んだ小砂利がたてていた音だ。涼しい早朝に、愛犬と毎日歩いた夏の記念の音にした。

2日
造園屋の庭木畑(と言うのか?)。整然と庭木が並んで植わっている。人工の林。枝葉が陽を遮り鬱蒼と、ひんやりと、している。残暑の中、木があれば涼が集まってくることを知る。

3日
夏の思い出――お盆の朝、誰もいない静かな朝。駅にも人は見あたらず。だからなんとなく、いつしか息をひそめて歩いていたら、いきなり、空に突き刺さるように踏切の音があたりに響き渡った。


4日
今年の夏は、一度もヤモリを見ていないと言っていたら、室内の、積み上げた本の隙間から、小さなそれが現れた。逃げ足の早いこと。ようやく捕まえ、生ぬるい夜の中へと放すも、今度は私から離れず、腕を登ってきたりするので、振り払って外へ還した。


5日
夕方、庭の睡蓮鉢に餌を落としていると、水草の間に白っぽいものが浮かんでいるのに気づく。一匹死んだかと思ってよく見れば、百日紅の花だ。今日は風が強かった。

6日
こちらの気配に飛び立ったアオサギのいた用水路土手に黒蝶がひらひら舞い続けている。

7日
「磨くから、おいで」と言っても来ない。気がついた時には犬用歯ブラシと歯磨き粉を握ったまま、お腹を下に寝ていた。夜中だ。どうしたと思う程寒いので、窓を閉めると、リンリンいう虫の声もせき止められて遠くになった。愛犬は傍らで寝息をたて、九月の夜を満喫していた。


8日
紅茶ほうじ茶、茶色のお茶が美味しい。汗をかいていない。台風が来ている。風雨に濡れて揺れる外の様子は、終演した夏の装置が片付けられていくみたいだ。人は誰も出ていない。風が口笛みたいな音を鳴らす。私は湯気のたつ茶色いお茶を注ぐ。

9日
シンシンと霧雨が降っている。凄い湿気だ。雨が止んだら、夏が来ると錯覚してしまうよ。

10日
キラキラ光るテープをつけて、繋がれて、田んぼの上を舞い続ける鷲。といっても凧である。こういうカイトタイプの案山子もあるのだな。近くで見れば、酷暑を過ごした体はボロボロにくたびれて、羽の裂け目から、頭を垂れる黄金色の稲が見えたりする。

11日
造園屋の鬱蒼とした庭から、姿を見せぬキツツキが木を突く音だけが盛大に響く静かな朝。

12日
栗のイガが色づきだして、道に幾つも落ちていました。



13日
夕方。空はまだ青い。そこに浮かぶ鱗雲を横切って、鳩より大きな鳥が数羽、北に向かって飛んでいく。

14日
仔猫の肉球は、掌の上のアオガエルのごとし。ピトッと湿り、柔らかくて、ちょっと冷たい。

15日
.メダカの睡蓮鉢に棲みついた蛙が水から出て、鉢の縁で微動せず陽に当たっている。ここがよほど暮らしやすいのか、驚くほど肥えていて、児雷也を乗せたくなるほどなのである。

16日
夜中に大雨が降りだしたので、祖霊たちは無事に帰る事ができるのか、なんて思ったりして。どっこい朝、目が覚めれば肌寒く、夜明けも遅くて薄暗い。台風の裾で降っていた雨は、祖霊どころか夏を持ち去って行ったのか。


17日
夕方、明るいうちにお風呂に入っていると、窓の外でカナカナカナとヒグラシが鳴きだした。湯を繁吹かせる手を止め、目を閉じると、ぬるい湯の中にカナカナカナが染みこんできて、私の体が少し浮いた。


18日
満開の百日紅の向こうから、巨獣のごとき白銀色した夏の雲が、町に被さろうとしている。あぁ、残暑。




19日
種を蒔いたおぼえもないのに、朝顔が咲きだしている。



20日
下着どころか、太ももの裏まで汗でしんなり湿っている。かなわないなぁ……と、残暑が苦しく、たまらず目を閉じると、トイレの裏の笹薮から、秋の虫の声が聞こえてきた。


21日
斎場帰りに見る田は、いつになく緑濃し。



22日
引きこもっていたのに、腕や首は日焼けしている。お腹やお尻は蝋のようで死人みたい。陽を浴びて肌目も荒れた腕を体の前に持ってくると、それぞれが別人の体みたいで不思議だ。脱衣所の鏡の前で、入浴も忘れ、珍しい物でも見るように、自分を飽きずに眺めている。


23日
ボートから湖をのぞき込むようにして、グラスの中を見た。氷の入り江で炭酸が弾けている。顔を近づけると、飛沫が飛んできて、キッスされた夏の午。


24日
早朝、とある古いお宅の前を通ると、老婆が庭の菜園で、反らした指の先でキュウリの蔓をネットに巻きつけている。息をつめて、集中している。なので無言のまま通り過ぎると、襖を開け放した家の中から、ビブラートのかかった誰かの鼻をかむ音が盛大に聞こえてきた。



25日
道を歩くと、モカシンシューズの紐がほどける。鼻をかんだティッシュがバッグから飛び出す。そのバッグの斜め掛けの肩紐に擦れてブラウスのボタンが外れていた。ヘアクリップから髪が外れてばらけてくる。私は、私の身を被うそれらの訴えを聞き入れて、涼しい部屋に戻る。



26日
家の裏で、朝から草刈り機の音が響く。昼の休憩を挟んで午後遅く、ようやく音は止み、外に出ると、青臭さが周囲に漂っていた。



27日
八月最後の日曜の朝は、浅葱色の空にいぶし銀の雲。見ていると、すぐそこまで海が来ているような錯覚を覚える色の空。久しぶりに涼しい。気が抜けたように人がいない。誰もいない。人が死に絶えた町を歩いているようで、前方から何かが来たら怖いなと、ふと思った。


28日
草をむしっていたら、アゲハ蝶が落ちていた。片翼が真っ二つになって、死んでいた。夏も終わり……と、告げられた気がした。


29日
もらいすぎて、もてあまし、とうとう野菜室の中で白カビが浮かんできた胡瓜を捨てる。田舎だからゴミ捨て場が遠いのを呪いながら歩いていると、風が吹いて、シャツと素肌の隙間をひやりと抜けていった。ゴミを捨てていると、隣の神社から桜の葉が散る音がした。

 


30日
8月に覚えた花の名――地獄ソバ。ドクダミのことで、根が地中深く地獄の近くまで伸びていくのでそう呼ばれるという。


31日
昔暮らした家の向かいに、猫好きのお婆さんがいて、越してからは、折に触れて絵手紙をくださる。私も返事を出してペンパル関係を築いていたが、やり取りはこの夏ついに途絶えた。
『私も九十になり』と書かれていたのは三年前。
酷暑だし。
空を見ると夏の雲が盛大だ。

 

1日
畑の一隅にすっくりと茎をのばす色と
りどりの菊の花。こうしてじっと、お盆が来るのを待っている。
 

 

2日
早朝の散歩道。或る古い家の、道に面した窓の磨り硝子ごしに、アルミ鍋やお玉などが透けて見える。不意に人影が浮かび、換気扇が盛大に回ると、昨夜のおみおつけを温め直す匂いが流れてきた。具は豆腐と葱らしい。
出汁のきいた香りは、むした朝の暑気払いとなった。


3日
おもむろに片脚上げて愛犬が小用をたしている電柱は、線を外されていて、ただの柱となっているが、「町制記念○○町昭和三七年」と、緑青の吹いた金属板が貼り付けてあった。


4日
床屋のお婆さんが、店舗隣の駐車場に笊を並べて梅干しを干していた。早朝犬の散歩で通りかかると「小粒だけど」と、いそいそと五、六個くれた。おにぎりに入れたら美味しかった。去年のことだ。
あの梅干しをまた食べたいなと思うけれど、今年はもうくれない。挨拶しかしない。


5日
駅近い動物病院前の伝線には、毎朝ツバメが必ず六羽止まっている。そして必ず、五羽がくっつき、一羽だけが離れて止まっている。
必ずそうなのだ。


6日
梨農家の青いネットの向こうでは、実った梨に赤い袋が被せられはじめた。


7日
早朝の散歩。田んぼ道を犬連れ、一人歩きと、他にも幾人かが散歩している。暑くて誰もが半眼になり、喘ぐようにしながらユッタリと歩いている。すれ違う時、自然と「暑いですねぇ」と苦笑を交し合ったりする。私は単純なので、そんな顔をする人皆が、いい人に思えたりする。


8日
汗、熱気、ジリジリ焼き付いてくる陽、鮮やかな空、盛大に膨らむ白い雲、誰もいない。暑くて誰も外に出ない。向こうまで続く緑の田んぼ。絡み続ける蔓。歩みを止める。夏の腹の底にいるようだ。

 


9日
菜園の夏野菜が最盛期を迎えている。大玉トマトとミニトマト。流しで洗って並べると、トマトの家族ができあがる。


10日
お盆近し。散髪したように、あちらこちらの庭木がすっきりと刈られている。ツゲか何かの生垣が、刈り取られてまだ片付けられずにいて、家の敷地に沿って地面に緑のラインを引いていたりする。


11日
見つめていると目玉の裏側から潤みが溢れて来そうなほどに、今の田んぼは緑。


12日
窓を開けて眠る。夜中に目を覚ますと、月で周囲が薄明るい。網戸からよい風が入る。静かだ、と思っていると、不意に「ジジッ」と蝉が濁った声で短く鳴き、庭木から何処かへと飛び立っていった。


13日
昼前にスーパーで買い物。最初に豆腐を選んでいると、まだ何も入れていないカゴにカマキリがいる。入口に戻り、つまんで外の植え込みの方へ放してやる。「誰か会いにきたかな?」なんて思うのは、今日がお盆だからか。


14日
数年前に御主人が、去年はコタロウという白い大きな愛犬が老衰で逝き、今はお婆さん一人が暮らしている近所のお宅。今朝に限って門灯が灯ったままなのは、お婆さんが昨夜のお盆に、彼らを迎えたからだろう。ヨボヨボになっても田んぼ道を散歩に励んでいた、優しいコタロウ君の姿が蘇る。


15日
何かを感じた愛犬が草むらに鼻先を突っ込むと、そこにいたコジュケイが驚いて近くの木の枝まで飛んでいき、その枝で鳴いていた蝉が慌てて何処かへ飛んで行った。

#68『初盆』

お盆で、どのお宅も庭木の剪定や草むしりに余念がない。裏の谷中さんは新盆だからか特に熱心で、植木屋が連日入っていた。
明けきらぬ早朝、犬の散歩に出ると、その綺麗に刈られた生け垣の向こう、薄闇の中に、谷中さんの末娘レイ子さんが立っている。
やはり挨拶は「お帰りなさい」だろうか?

 

 

#69『生き証人』

執筆のため、郊外の旧家だったという古い家に棲むと、庭にある古井戸で毎晩女が啜り泣く。湿っぽいのが嫌いなので、生きていた頃の思い出話をしろと言うと、

「瓦解の時は」などと明治維新当時の体験を語りだす。

そう、僕のヒットシリーズ『夜明けのサムライ』は、全部この幽霊からネタをもらったのだ。

 


 


#70『回り灯篭』

回り灯篭って綺麗ですね。
眺めていると、この家に嫁いで姑の厳しさに泣いたり、工務店を営む主人を支えた過去が思い出されます。
まさか一周忌を過ぎたばかりで、あんな若い娘を家に入れるとは。
主人がこんなだから、私はやきもきしてあちらに逝けず、ゆらゆらしてたら、とうとうお盆になりました。

 


#71『糠床 /1』

漬けた覚えのない胡瓜が、糠床の底から出てきた。

割り箸でできた穴が四箇所あいている。お盆のお迎え馬にした胡瓜のようだ。

食べてみると、漬物名人だった姑の味がする。
ということは、今、家にいるのか? お盆の間は、そういうこともありなのか? 
……ありらしい。

 

 


#72『蝶子さん来訪』

数日前のこと。リボンと珊瑚が池で読書していると、蝶子と名乗る女性が訪ねてきた。主たちの留守を告げると、スッと帰った。
午後に主夫婦が帰宅。蝶子さん来訪を教えると「今まで彼女の法事に出ていたのよ」と、お婆さん。「盆近しでそういう事もある」と、お爺さんは土産の鮨の折詰を二人に渡した。

 



#73『三途の川』

村には川が流れている。
対岸は、ここと合わせ鏡のような農村で、住人もよく知る者ばかり。
しかし、
「今年は豊作だな」
と、川向うへ声を張り上げても、対岸の住人は知らんぷりだ。
だが、こちらの者は気にしていない。
いずれ死ねば、自分も川向うで野良仕事をして、彼らと暮らすのだから。

 

#74『糠床 /2』

お盆も終わり、漬けた覚えのない茄子や胡瓜が、糠床の底から出てきた。食べると、漬物名人だった義母の味がする。お見送りの牛にした茄子も漬かっている。ということは、帰っていないのか? この家に、まだいるのか? 受け継いだ糠床にしょっちう黴を生やす嫁に見かねて、まだ監督する気か?


 

 

#75『異郷の人たち』

グランドで花火大会が開催されていた。
「○○商店主様」「大字〇〇の▲様」
この大会に協賛した人々の名をアナウンスしては、花火が打ち上がる。
が、すぐに変だと気付く。
ついに、正月に死んだ祖母の名が呼ばれた。
人々の姿が次の花火に照らし出される前に、僕は急いでグランドを後にした。

 

 

#76『鹿』

畑を鹿に荒らされた。ライフルを持ち出すと、「じき犯人も見つかるから、殺生は我慢しろ。奥さんの魂が鹿になって来たんだ」と、周囲に諫められる。言われてみれば、あの獣の黒目がちの瞳や長い四肢が浮気をした亡き若妻を思わせる。ならば今度こそ息の根を止めてやると、トリガーを引いた。 
 

 

 

#77『御新造さん』

黒留袖に丸髷の百年も前なら御新造と呼ばれて珍しくもない出で立ちの夫人が庭に入ってきて、池の二人に「家が絶えたものですからお迎え火も乗り物も用意する者もなくて、自力で来たら今頃で」と、青ざめた顔でひとしきり恨み言を並べる。「秋の幽霊って侘びしいわ」と珊瑚が囁くと、リボンも同意する。

離婚話が出てだいぶ経つ。
家庭の中は殺伐とする一方。

それから逃げるため、小説家の夫は机の前から動かず、ひたすら書き続ける。

書いている間は、別の世界で生きていられるという。
私の手の届かない物語の中で生きる夫は、机の前でしだいに透き通り、実体を失う。
だからいつまでも離婚ができない。
 

「助けて、パパのような彼に守って欲しかっただけ」
「助けて、弟みたいに彼を可愛がりたかっただけ」
「助けて、親友から恋人を寝取りたかっただけ」
「助けて、貢いでもらいたかっただけ」
「助けて、ねぇ、助けてよ」
しかし彼女の部屋の前から怒る人々は去らず、

「出てこいや」

と、ドアを叩き続けた。

 

転校してきた美和ちゃんは、いつも試験管を持ち歩き、

「力の強い狐を入れているの」

と言う。

私は返答に困って、

「うん、狐がいるね」

と答えてしまったけれど、クラスの皆は「嘘狐」って美和ちゃんを苛めた。

今は、狐は本当にいると思ってる。

遠足のバスが転落して、私と美和ちゃんしか残らなかったから。