今日、私の実家に挨拶に来てくれた人がいた。

ずっと昔、商売が祖父母の頃、父がまだ小学生くらいの頃にうちで働いてくれていた人だ。

もう最後だから。って旭川に来て、うちに寄って仏壇に手をあわせていってくれた。

私は直接会えなかったのだけれど、確か私が小学生のときも、そのおじさん稲場さんが遊びに来てくれたことを今でも覚えている。

そのひとの人生の節目に思い出してもらえるって、すごく素敵なことだ。

稲場さんにとってうちは青春の一ページなんだろうな。って勝手に想像(^-^)。

青春て言ったって昔のひとは小学や中学出たら働くから、もう今の青春の形と当時のとは違うかもしれないけれど、若い頃に一生懸命働いたり学んだりした場所って、稲場さんにとってちっちゃな宝物みたいな場所なんだろうなって思うと、なぜか切なくてうれしかった。

そんなふうに、会いに来てもらえる祖父母を尊敬した。

自分も、遠くからでも会いに行きたいと思われるような人に少しずつなれたらと思うのだ。

友達が帰って、それまで大爆笑していたから寝るに寝れなくて、なんか寂しいなと思いテレビつけたらNHKの[日本のジレンマ]ていう番組が放送されていた。

長時間番組だったが相当面白かったので見終えた頃は明るくなっていた。

討論番組といえばおじさんたちのイメージがあるけれど、若者討論で、自分が世の中に対して抱いている考えを代弁してくれていて、自分だけの考え方なんじゃないかなんて普段不安になったりしていることが、やっぱり皆抱えてる問題なんだと再確認できた。変な言い方だけれどすごく安心した。

危険な橋も手を繋いで渡れば怖くない

て言葉がある。

いろいろな局面で今までの価値観が通用しなくなってきていて、どちらかといえばその新しい価値観で生きてるひとたちは、新旧の摩擦の狭間でもがきながら生きてる。
こう生きれば幸せになりますよ
ていうルールはあるようでもう無い。
前ならえな時代は終わったなとつくづく感じる。
前ならえが悪いとは言っていないが、
頭を使って、
本当の意味で生きていなければ誰も幸せは保証してくれない




今日、ひとに話を聞いてもらった。

職場に、どうしても人として好きになれなくて目もあわせたくなくて、もちろん会話もなるべくしたくない人がいると。根っこが腐ってるとグチってしまった。汚い言葉を使わないようにしてるのに出てくる。

なんで失敗しても謝らないの?
なんでへらへら笑ってるの?
なんで人のせいに会社のせいにするの?
人が失敗したらなんで鼻で笑うの?

なんで得になる人だけにヘコヘコするの?

なんで人の悪口を平気で言うの?

本当に人として向上心のかけらもなくて大嫌いです!


…て、聞いてもらったら、


世の中には①気づかない人、②ただ気づくひと、③気づいても我慢するか、それか正そうとするひと④気づいてそして流せるひとがいるんですよと言っていた。

受け流すことも大事だと言われた。でも気づかないひとじゃない限りいつか4番目になれるから頑張ってと言われた


昔、信頼してた友達から裏切られたような気がして、本人は そんなつもりない様子だったけど。まる一週間ショックで泣いて暮らしたことがある。
そのときも、
やっち、皆そんなに一つ一つこだわってないよ、本人は無意識だから聞き流すのも生き方だよ~。と言われたことを思い出した。


そうなのだ。

私の欠点はそこなのだ。まあまあとか、適当とか嫌だ。

悟られたくないからくちでは適当適当って言ってごまかす。
でも超疲れる。だから人が適当なのも許せない。

だから大多数のことには手をつけないで生きてきた。疲れるから。


流すってことは本当に難しい。