娘が「希死念慮に負けそう」と言うまで私はその言葉すら知らなかった。


調べてみると


「『自殺念慮』とほぼ同一の思考内容をさしています。これらの意味の差異としては、自殺念慮の場合、強い感情を伴った自殺に対する思考あるいは観念が精神生活全体を支配し,それが長期にわたって持続するのに対し、希死念慮では、思考あるいは観念として散発的に出現する場合を指すことが通例であり、「消えてなくなりたい」「楽になりたい」などが希死念慮の具体的な表現型です。」

とあった。



目標もプライドも高い娘が周囲に啖呵を切ったのに挫折をすればそのようなことになるのは当然ともいえる。



アップダウンが激しいから確かに自殺念慮ではなく希死念慮なのだろう。



加えて体調がとても悪いから生きているのがしんどいと思うのもわかる。



ただ娘の人生は私から見れば何の闇もない。



いじめられたこともないし、お金に困ったこともない。



夫も私も全ての愛情を注いで愛くしんで育ててきた。



温かいご飯ときれいな寝床を用意し、たくさん旅行に行き中学受験も並走して割と名のある学校に通っていた。

今も親子仲は良い(夫婦仲は悪い)。



何が足りないのか正直なところ私には理解できない。



はたから見れば甘やかされて育った忍耐力のないわがまま娘に映るだろう。




部屋には読めない殴り書きのメモがたくさんあった。



「死にたい」とも書いてあった。



娘は

「死にたいけど方法が見つからなかった」と言った。



私は言葉が見つからない。



やっとの思いで

「死んだら終わりだよ」とありきたりなことを言ったけど

「終わらせたいからそうしたい」と言う。



自分の娘から「死にたい」と言う言葉を聞く絶望。



こんな未来は数年前まで1ミリも想像できなかった。

親として息が止まるほど苦しい。



私の父もうつ病で2回自殺未遂をした。



ただ、父の場合は途中で怖くなり2度目は外でベンジンを飲んだ挙句自分で110番した。

構ってほしかっただけだ。



父はどうしようもない人だったけど、娘は違うと信じたい。



再生の道はどこにあるのだろうか。