姉が紅マドンナを送ってきた。
お正月にみんなで食べるために。
姉は空気を読むだとか察するだとかが冗談と思うくらい全くできない人。
姉が務めるスーパーで売り出した紅マドンナをスタッフ価格で購入できるチャンスに乗っかり購入したのだろう。直ぐに売り切れてしまうとのことで、お正月にはまだ日があるってのに実家となるこの家に送ってきたのだが困ったな...。
この家には私、高校生の息子、そして父が居る。
実質お財布が違う父と私の2人で冷蔵庫をシェアしている状態だ。父は2週間3週間分の食料を一気に買い込み、野菜室、チルド室、冷凍庫と父の食材でいっぱいにする。
暇なんだから1週間に1度の買い出しにしてよ~と思った時期もあったが今はそんな期待は消えている。
洗濯物問題が乾燥機付き洗濯機導入で解決したように、冷蔵庫2台持ちや大きな冷蔵庫に買い換えと言いたいところだが、兎にも角にも家が狭すぎる故に置き場がない。
今回送られてきた紅マドンナは、どう保存するのがベストかはかわからないが、他の野菜を端に寄せスペースを作り、1つ1つサランラップで巻き野菜保存用の緑のビニール袋に入れ野菜室へ。ただ問題となるのが、これからお正月の食材を入れるスペースを確保するために、今あるものを少しずつ消費して片付けていこうと計画を立てていた矢先だった。
次回は事前確認をするようお願いをし、冷蔵庫のスペースが必要になれば紅マドンナを食べてしまう方向で緩く解決。
さて、今回認識できたことは、姉の思考にある「実家」という意識は母が居た時からアップデートされていないということだ。
”母はもういない”状況は理解していても、意識では母が生きていた頃と同じなのである。
これが外側が変わっても同じことを続けてしまう脳の癖というものになるのだろうか。
人は深いところにある意識はなかなか気づけないもの。
それを見ようとすれば捕まえることができるが、それすら気づけないことがほとんど。そしてなんだかモヤモヤするものの変わらぬ自分のままでいるわけだ。フムフム
意識的になろう!
毎瞬間に新しい自分でいれるように
意識を向けよう!
そんなことを思っていたら、まるで確認テストを受けるようなことが起こる。
テストを頑張るといって途中で諦めた息子。
偉そうなことを言った直後に人を頼るという曖昧な動きをとった息子。
私が誰かを頼らずに踏ん張り頑張ってきたことが感情を荒らすスイッチだろう。
自分でなんとかしろよ!
そんなこと自分でやれよ!
自分でやるって言ったならとにかくやれよ!
といったってそう育てたのは私。
爆発の連続でみるみるうちに燃え上がる炎のようにゴーッという大荒れ感情に育っていった今回の怒り
ちょろちょろと水を撒いたって消えない炎。
久しぶりの感情の大揺れに悪酔いモード。
睡眠もザラつき3時に離床。
毒とゴミを排除するかのように呼吸法をして少し落ち着き、その後の瞑想で一層落ち着きいつもの私も戻った。夜が一番長い冬至を目前に、6時を過ぎても真っ暗な外。暗闇と静寂の中、自分を見つめ整頓をした。
今は備長炭。
火は完全に消えていないが、とにかく新しい一日。
新しい自分。
新しい息子。
まずは私が幸せになることに意識を向けよう。
読んでいただきありがとうございました。
自由・愛
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