先日、フルトランス練習で相棒にセントジャーメインと繋がった時のメッセージはこう。
親が全てを担うのではなく、
子供ひとりひとりが
自分の人生の責任を持つ
"親は子供の問題を
学校や他者のせいにしてはならない。
親が責任を持って家庭で伝えられることをする。
洗濯や掃除、買い物ができる、心地好い暮らし。
そばに居る大人が社会のルールを教えればいい"
昨夜、息子との談話で不登校についての話題が上がり思い出す。
職場の同僚で姉妹で不登校の娘を見守る彼は、一時期げっそりとやせ細った。
2人の娘は共に首席で入試をパスした優待生。喜んだのは学費がタダになった両親。娘はじわりじわりと首席というプレッシャーに苦しみを感じコロナ過を切っ掛けに学校へ行くことをやめた。続いて姉を追って同じ学校に進学した妹も不登校になった。
「うちの娘たち引きこもりなんて」と、今では家族旅行をすることを楽しんでいる。
はたまた別の知り合いの話では、負けん気が強くきっちりした性格の一人息子。
彼は1週間みっちり習い事も文句を言うこともなくこなした。そんな彼だが中学2年の夏に、外側が変わった事で心にヒビが入り途端に崩れてしまった。
祖父の病気により、急遽父の会社を継ぐことになってしまった母とは顔を合わす時間が極端に減った。
さらには大切にしていたペットが同時期に亡くなったこと。寂しさと不安により精神がガラガラと壊れ、学校へ行くどころか家から外に出るのに体を震わせ一歩も前に進めない症状となった。
幸い友達とはオンラインゲームを楽しめること。
仕事から戻った母は、ゲームばかりで口を出したくなったが「楽しんでいるんだからありがたい」と自分に言い聞かせてた。
少しずつ外に出られるようになり、何とか高校受験も終え4月から高校生になる。
不登校には、”学校に行きたくない”と”学校に行けない”があると知った。
行きたくないには、学校に行く意味を見出せず意味のない学校へ行くよりも充実した時間を大切にしたいと、自分の願望をしっかりと持つ人もいることだろう。
色々なケースで不登校者が増えているように思えるが、もしかすると本質的に違和感を察知しているのかも…。
何はともあれ、今の子供達は色々なことが簡単に出来きそうだ。
精神的な問題はやがて身体にも影響してくるため、当然無理はせず家で過ごすことになる。
子供が不登校になり頭を抱える期間を越えた先には
"いっぱい笑って、
健康でいてくれればいい”
こんな風にとてもシンプルな答えに着地する。
話しは変わり、
昨夜の談話で息子が言った言葉はこうだ。
「オレは最高の友達に囲まれ本当に恵まれてる」
息子は勉強は好きではないが学校に行くことが好きだ。最高の友達が待っているから学校へ行くのだ。
息子の通っている学校は校則はあってないも同じ。先生方の理解もあり、本当に自由で緩やかに過ごせる場所になっている。
私が中学生の頃は家も学校も居たくなかった。
仲良しの友達は沢山いたけど、だからといって自分が恵まれているなど到底考えることができなかった記憶から、息子の言った言葉に小さく驚き、同時にウルっと静かに感動した。
”オレには最高の友達がいる”
これでいい。
これが最高でありこれ以上求める必要がない。
ありがとう
母頑張って学費工面するよ
生きとし生けるものすべてが
自由であり幸せでありますように
ありがとうございます。