僕がここに来た当初の目的は、英会話、特にListeningとSpeaking。他も良くないけど、特にこの2つは酷いので。。。  

僕が入った学校は、セブシティでは珍しい日本資本の英語学校(セブの学校は韓国資本が多いらしい)で、日本人の生徒の割合がかなり多いです。一般的に英会話のスキル上達を考えると、なるべく日本人の少ない学校を選ぶのがセオリーなんだろうけど、この学校を選んだのは、僕がフィリピンに来た目的が、僕と同じように英語のスキルを上達させて「日本」で頑張ってみようと思ってる「日本人」と知り合う、ってことだったり、韓国資本の学校だと食事が韓国料理中心になってしまうって聞いたから。そもそも、毎食キムチとか無理だしな(結局今の学校も毎食キムチ出ますが・・・)。  

ちなみに、今回の12週間の滞在のうち、最初の8週間は総合英語コース、最後の4週はTOEICコースという感じで申し込みしました。初日に受けたレベルテストの成績でレベルが決められてそれぞれのレベルにあった?先生に振り分けられるのですが、僕の場合は、SpeakingとWritingが3pointsとそこそこ無難な成績、Readingが5pointsなのに対して、Listeningが1pointsという残念な成績でした。。。まーこれは最初から自分でもわかってたことだけど、本当に聞き取れなかった。  

後でわかったんだけど、ネイティブじゃない人間が英語をそこそこ流暢に喋れるようになる、ってことは、言葉のキャッチボール(笑)をしなければならないわけで、ボールを投げる(Speaking)のがそこそこうまくても、取る(Listening)のが下手くそだとお互いフラストレーションが溜まるだけって感じだと思う。だから、初日の段階で今回の12週間の留学の主な目的を「耳を鍛えること」に再設定しました。  

僕の学校の標準的なプログラムだと、マンツーマン(1-1)の授業は標準で3時間(追加で更に2時間増やせます)、先生一人に生徒四人(1-4)の授業が2時間、先生一人に生徒八人(1-8)のクラスとフリークラスが各1時間です。当初、マンツーマンの授業を最大まで増やそうと思ってましたが、とりあえず最初の2週間は様子見で全部カリキュラム通りに受けることにしました。
2011年10月の最初の日曜日、夜、僕はフィリピンの片田舎のバナナの樹の下でボラカイというお酒を飲みまくり、ぐでんぐでんに酔っ払って吐いてました。周りには数人のフィリピン人の友人が居て、真っ青な顔をした日本人である僕を、英語でしきりに気遣ってくれてました。ほんの数週間前まで僕は東京で普通のサラリーマンだったのに一体これはどういうことだろう?、と思うまもなく、次の嘔吐の波が・・・


「カバンひとつで旅に出る(しかも外国に)」

というのにずっーと憧れていたけど、もちろん普通そんな機会はそうそうない。僕の場合もそう。39年間生きてきて、結局留学とかの機会は無いままだったし、何も考えずに普通に会社員として働いて来ました。

ところが、2011年8月中旬、良くも悪くも色々な条件が重なり、幸せなことに家族のバックアップも得られ、39歳にしてそれ(カバンひとつで旅に出ること)ができることになりました。行き先はフィリピンにしました。そして僕は、2011年9月の中頃に会社を辞め、バタバタで準備して9末に日本を離れました。

成田からの直行便で4時間半くらいかな?時差は1時間。理由のわからない熱気に満ちたマクタン空港に、ハードオフで買った黄色いスーツケース一つ持って到着したのが2011年9月25日。空港に迎えに来てくれたフィリピン人はナイナイの岡村に似てました。(後に彼とは自転車友達になります。)渋滞のために1時間弱の時間をかけて学校の寮に到着し、自分の部屋に入ったのは夜の20時くらいでした。広いけど、湿気だらけで薄汚い部屋でした。すぐにバルサン炊きたくなる感じでした(僕は極度の潔癖症)。

そして、この瞬間から、僕の3ヶ月に渡るセブ島での学生生活が始まりました。目的は英会話の習得他。この日記は、39歳のおっさんが3ヶ月でどれくらい英語喋れるようになるかの記録+αです。