病院は治療を目的とする施設の為、
もう抗がん剤はしない、延命治療ものぞまない父は病院を出なければならなかった
父が施設に入ったのは2月23日
約5ヶ月間お世話になった病院の看護師さん達は総出で父を見送ってくださった
私が選んだ施設は家からも30分位で会いに行ける、24時間看護師さんが常駐していて何かあれぱ直ぐにドクターが往診に駆けつけてくれる施設だ
そこで心から信頼出来る先生と会う事が出来た
なんか、コロナ禍の時にテレビで拝見したドクターかな⁉️
とにかく、熱意ある往診医の先生で父を任せて良かったと今でもつくづく思っている
施設に入る時に終末期医療について1時間位かけてお話しをしてくれた⬇️
父が亡くなる前日、先生が往診に来てくださった
「お父さんは全然苦しそうじゃない穏やかな表情ですね
私は白血病の専門医だから分かるけれど、お父さんは病気には勝ちました! 白血病が進んだり悪化すると、吐血があったり下血があったりと大変な方もいらっしゃる中、お父さんは自然死に近い状態でいます
腫瘍は栄養を摂ると増えるんですが、お父さんは食欲も段々減ったから腫瘍も増えなかった
何も管に繋がれていない、このまま眠るように亡くなる…
自分もこんな最期でありたいと思うくらいです」
そして死に目に側にいたいという私の気持ちを汲んでからか、
「こればっかりは本当に分からないんですよ、ずっと付き添っていたのに、家族がちょっと買い物に行っている間に逝く方もいるし、皆がいる中で逝く方も居る、それは本人がそういう最期を選びます」と
往診医で年間300~400人の方を見送っている先生の話は本当に深く心に響く言葉ばかりだった。
4月23日
父は私の誕生日から危険な状態になった
57歳の誕生日の夜を
父の横で過ごしている
今日は仕事終わりに家族で食事する予定だったが父の容態が思わしくなく、とても美味しいお酒が飲める状況ではなかったのでキャンセルしてもらった。
下顎呼吸になった父
目を開けて、何か喋ろうともする
右手を動かしてくる
首も動く
歯ぎしりもしている
父を一人にできないと思い、今晩ここに泊まると言ったら夫も泊まると言ってくれた
父の安定した呼吸を聞きながら
眠れるかな
パパいつも私に寄り添ってくれてありがとう
お父さんが苦しまず
天国へ行けますように
私の誕生日の2日後
父は私と夫と娘が手を握り見守る中
穏やかに息を引き取りました
またまた暗い話ですみません🙇♀️
自分の記録として残させてください🙏
私が国際結婚すると知った時
母に言われた
「親の死に目にあえなくてもいいの?」と
その時はその深い意味が
本当の意味が分からなかった気がする
最期の2日間は父の施設に寝泊まりし、ずっと父の身体をさすったり手を握ったり声をかけたりしていた。父の死に目に側にいられた。
夫と共に何回か泣いたこともあったが、
父が亡くなってからはほとんど涙も出なかった
私はどちらかというと、晴れ晴れしいくらいの気持ちで父を見送れた
納棺の時や葬儀の時も兄の孫、つまり父の曾孫達6人が賑やかで終日、笑顔も絶えないものとなった。
葬儀の翌日には7人目の曾孫が産まれた
生命がそうやってバトンタッチされていく
父母を見送るのは順番...
元気な母より私は長生きしなければ!
と思っている