私は「自分が変わったことによって、家族との関係がどのようになったかということについて書けばいいだろう」という父の一言のおかげで、このスピーチ原稿を順調に書くことができました。現在無くしつつある感情がこれからの家族の在り方とどんな関係があるか、今日は私の経験についてお話したいと思います。
家族と言うのは、愛と幸せの結晶です。しかし、今の時代では人間として、本当の愛という感情を無くしつつあるように思います。福祉と科学の進歩によってお年寄り向けの施設が豊かになっている一方で、両親に親孝行をする感情が薄れ、町でもよく寂しそうなお爺さんやお婆さんを見かけます。この漢字を見てください。上は老人の「老」の部首で、下は子どもの「子」です。これらが組み合わせられて「孝」という漢字が生まれました。この「孝」の書き方を見ると、老人と子どもが一体であると分かります。そして、両親に孝行することは人生の道徳として、基本的なことだと示しています。
私はこの漢字の意味を理解して、今まで一度もない不思議な幸せを感じました。それから、私は、今までしたことがないことを両親にしました。それは両親がよく眠れるように寝る前に足をお湯で洗うことです。とても小さなことですが、大きな幸せを感じました。両親の足を洗いながら、「子どもの頃、いつもお風呂で私の体を洗ってくれていた父と母からどれほどの愛をもらったのだろうか。」と頭に浮かべました。それで、私は、これは息子としての本分を尽くすことではないだろうかと思いました。そして、人間が本来持っている愛と感謝ということに気付いた私は、毎日両親に料理や家事をしたり、マッサージをしたり、話したりするようになりました。私は息子としての本分を知って以来、以前は話せないことがあったのに、今は両親と話が途切れないほどテレビ電話で話しています。最近のことをいえば、父の日と母の日に、歌と感謝文を贈りましたが、もう一つの贈り物として日本にいる私は「テレビ電話」を使って膝まずいて両親を拝みました。これは中国の伝統習慣で親に感謝と尊敬を表すものです。この礼をした時に、両親にとても感動されました。母も我慢できずに、嬉し涙を流していました。両親の顔を見て自分も心が不思議と温かくなりました。それは幸せでした。そして、これからは自分の誕生日にもこの礼をしようと思いました。なぜなら、子どもが生まれた日は新生命の誕生であり、母の苦しい日だったからです。誕生日は産んでくれたことを感謝すべき日だと分かりました。
国というのはそれぞれの家族から成り立っています。所謂、大家族です。親孝行は両親だけにすることではありません、中国では学校や社会、国においても親孝行が存在すると考えられています。今、スピーチコンテストを行っていますが、これは学校という大家族の一人として、兄弟と感情を深めるためだと思います。スピーチコンテストは競争することですが、戦争ではありません。競争はお互いに交流して、自分が足りないものは他人から吸収したり、自分が知っている良いものを教えたりすることです。大家族で兄弟の交流を通して、能力を高めるためです。そして先生は第二の親として兄弟が仲良くしていれば、安心するので、これも親孝行の一つです。
家族は愛と幸せの結晶だと言いましたが、別の言葉でいうと、家族というのは、種のようなものだと思います。栽培の方法によって、甘い果実ができます。美味しい実ができるように今、私は親孝行していこうと思います。これで、私のスピーチを終わります。ご静聴ありがとうございました。