戦国時代、豊後国を一時支配していた大友宗麟。永禄の博多の多々良浜の戦いの裏で新たな動きがあった事を示す書状が寺で見つかった。
要約
急ぎ申し上げます。長岩の者共が狼藉を企ており当郡の境目まで出動するとの噂がある。油断はできない、なるべく早く討ち果たすべきだ。苦労をかけると察します
閏5月
宗麟 花押
玖珠郡衆の連名
日付は推測では多々良浜の戦いの年か?
長岩は中津市にある古城で戦国以前に造られた城であり詳細は分からないが、書状からするとここにも番人か誰かいたようである。
いずれも激しい戦いもなく、勝利は大友軍に上がったようだが、戦国時代の書状は少なく、当時の様子がわかる貴重な書状。
宗麟の花押と署名






