旅行やその他ブログ

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旅行で行った場所、お城や建物、歴史等を紹介してます!

戦国時代、豊後国を一時支配していた大友宗麟。永禄の博多の多々良浜の戦いの裏で新たな動きがあった事を示す書状が寺で見つかった。

要約

急ぎ申し上げます。長岩の者共が狼藉を企ており当郡の境目まで出動するとの噂がある。油断はできない、なるべく早く討ち果たすべきだ。苦労をかけると察します

閏5月

宗麟 花押

玖珠郡衆の連名

日付は推測では多々良浜の戦いの年か?

長岩は中津市にある古城で戦国以前に造られた城であり詳細は分からないが、書状からするとここにも番人か誰かいたようである。

いずれも激しい戦いもなく、勝利は大友軍に上がったようだが、戦国時代の書状は少なく、当時の様子がわかる貴重な書状。




宗麟の花押と署名









震災の爪痕が生々しい。本丸以外の石垣はほぼ一部崩落でこの有様



久々の熊本城の櫓がこんな姿に。かろうじて現状を維持しているが、見られるのは今のうち



後に入った細川忠興の子忠利は感嘆したそうだ。築城の名人清正が造ったのだから。忠利も敬意を払って入城したと記録にある。同じ地震が起きた時も余震が続いて城内にはいられない、非常時の小屋がない等記録として残っている



見所はこの石垣。いつ何度見ても飽きないこの造り。清正特有の造り武者返し。この高い石垣が二重にも三重にあってその上にようやく本丸と天守があるのだから、かなりの威圧を誇っていたことだろう。実際の高さはわからないが石垣の高さでも十何mもの高さがあり高層ビルに相当する高さ。しかも出入り口は何箇所もあって、つづら折りで天守は近いものの、登れどなかなか辿り着かない敵を寄せ付けない完璧な造り。



大積山神社


愛媛の総神社の分社で、玖珠の森藩久留島氏が改修した神社。

久留島氏は村上水軍の分家であり、極小藩の無城なのでよほど強いこだわりがあるのだろう。遠方には海が広がる絶景。もしかしたら腕利きの穴太衆を派遣して造らせたのかもしれない。

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