私には2人の幼い娘がいます。
今回の大災害で、まず頭をよぎったのは、被災した赤ちゃんや幼ない子を持つ親の心境。
TVで、赤ちゃんのミルクのために自分を犠牲にしているママを見ました。
同じ親として、当然の行動ではあるけれど、大変感動しました。
そして、何度も考えました。
もし自分があの大震災に巻き込まれていたら・・・
行動に移すにはだいぶ時間はかかってしまいましたが、子育て支援物資を携え、先日、宮城県に向かいました。
多くの先駆者さんたちと被災地で物資を集めている団体の情報をもとに、どこに物資が足りないかを割り出し、まずは名取市に行きました。
名取市と言えば、自衛隊が海上空から撮影した、次々と押し寄せる津波の映像が印象的でした。
さぞ、大変な状況なんだろうと、覚悟して現地入りをしたのですが、想像以上に穏やかな状況にビックリしました。
あれ~と思いながらも、まずは、物資を届ける為に避難所を訪れました。
大きい避難所では炊き出し支援が盛んに行われ、また、物資もある程度潤沢にあるようで、体育館のステージが無料購買部のようになっているところもありました。
薬剤師も常駐でカウンセリングをしながらミニ薬局を展開。
すばらしい。
ただ、私たちの物資はどこへ行っても、受付で「間に合っています」と言われてしまうので、もう少し小さめの避難所を回ってみようという事になりました。
3~4箇所回ったころで、私達の不安が焦りへと変わりました。
大震災から3週間が経ち、徐々に回復していくライフラインにより、幼児の子育てママさんたちは避難所を出て安全な場所に移動しているようなのです。
あーやっぱり。(-。-;)
果たして、この物資は届けることはできるのか?
このままでは多くの物資を提供してくださった方々に顔向けができない。
そんな焦りを隠すように、避難所を回り続け、今度はやり方を変えて、被災者に直接聞き込みをはじめました。
そして、ようやく2箱渡すことができました。
このとき現地に入って、4時間が過ぎようとしていました。
このままでは何日かかるか分らないと不安を募らせながら、海に向かって走っていました。
と急に、道路が乾いたドロに覆われ、白っぽい色なったと思った瞬間に、今まで穏やかだった景色が一変しました。こういうことだったのか。穏やかなんてとんでもない。
これがTVで見た、あの残骸か。
それは、あたり一面瓦礫の山。
3~4km先の海岸沿いの防風林が見通せる。
この先、通行止めの看板の横には無残なローソン。
人間の作ったものなど自然の力にかかれば赤子同然。
映画で見るような大津波が実際となってこの町を一気に飲み込んだ爪痕は、海岸線沿いに永遠と続いていました。
あの、穏やかな風景とこの瓦礫の境目は、生死を分けた境目なのか。
先と手前の違いはなんなんだろう。
このときもまた、、もし自分があの大震災に巻き込まれていたら・・・
と考えてしまいました。
大津波に遭遇した避難所にいる人たちの不安を考えると、涙がこみあげてきました。
そして、命を奪われてしまった方や遺族の方々に心からお見舞い申し上げます。
私たちは、折れそうになっていた気持ちを奮い立たせて、また次の避難所に。
でも、やっぱり無用のようです。
ただ、そこで知り合った、私たちのように個人で支援活動をなさってる方達から、名取よりも福島よりの亘理、あとあの日本三景で有名な松島や石巻が物資が足りていないとの情報を得て、亘理、東松島、石巻に向うことに。
既に10箇所以上の避難所を回っていた私たちは、今までの反省をもとに、今度は児童館や保育園を中心に回ることにしました。
これが功を奏し、約1tほどの物資を被災者の手に届けることができました。
少しづつ「来てよかった!」って思えるようになり、勢い勇んで石巻へ。
今まで比較的空いていた道が渋滞しはじめたかと思うと、そこには警察官が立っていた。
どうやらこの地区は電気、ガス、水道がまだ復活してないようだ。
たしかにロードサイド大型店舗が軒を連ねる公道なのに、道路はヘドロ色。
まさか、こんなところまで水没したのか。
この後、石巻を襲った惨劇がどれほど凄まじかったかを私たちは知ることとなる。
続きは後日。










