こんにちは 405です。

 

実に何日ぶりの更新なんでしょう(笑)

なぜか先月からパタッとSNSにさわらなくなってしまいました。

 

それなりに日々忙しくしてたのもありますが

「今はやりたくない」

そんな時期だったんでしょうね、

そんな時もあります。

 

そしてまた何事もなかったかのように配信、

それくらいでいいんです。

 

 

 

今朝 娘を保育園に送って行った後

お世話になっている神社に参拝(という名の散歩)へ。

 

昨晩 寝る前に旦那さんと話していてちょっと気に入らないことを言われたようで。

ずっと気分がトゲトゲしてる。

別にコレは旦那さんのせいじゃなく、おそらくずっと自分の中でモヤモヤとしたものが明確な形として浮上してきただけなんですね。

 

「良い気にふれてスッキリ」をしたかったみたい。

こんな涼しくて気持ちのいい日に他に誰も参拝者がおらず、

おかげさまでゆっくりと贅沢にお参りすることができました。

 

 

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ここの神社はちょっとした林の中にあり、

木々の中を歩く参道からもう清々しい空気。

 

奥には竹林があり、壮観な竹が風に揺られながらしなったり葉音をだしたり。

自然のまま そのままで存ます。

 

 

今ここに存在していることは 大きな力(宇宙)からいてもいいよと許されている

ふとそう感じました。

 

自然思想を基とした算命学に

「自分の役割を終え必要なくなったものは自然に淘汰される」とあります。

この世界に生を受けて 大宇宙の歯車の一つとして それぞれの持つ気を燃焼させながら終焉を待つ。

 

私は何もできない していない 

何ができる 何を生きがいとしよう

そう考えるのは個々の自由であり それが本来の目的ではなく。

歯車は「どういう生き方にしよう」と考えながらも すでに回っている事に気がついていない。

 

何もしていなくても もう許されているんだ、と。

 

 

境内の周り、今日は鳥たちがやけににぎやかで。

木々に飛び移ったり、木の実を落としたり

おしゃべりしたり 追いかけあったり。

忙しなく今を生きることだけがすべて。

 

まるで鳥たちは私たち人間のよう。

それを見て神は宇宙は大きな存在は

微笑ましく愛しい気持ちで見守ってくれてるのかもね。