人は不安になると儀式めいたことをして不安を解消しようとする。

テスト、出産、就職前には神社にお祈りをしに出かけたりする。
単語が覚えられる訳でも、面接で上手くいくようになる訳でもない。
しかしお祈りをする事により安心したり、気持ちが落ち着いたりする。

これは摂食障害にもあてはまり、自分で決めた約束(儀式)を不安になった際行う事により安心しようとする。
だが、極端な儀式は守れなくなる。
守れないと不安になりまた儀式を行う。そしてまた守れない。
悪循環が生まれ始める。


今日、先生がこんな話しをしてくれた。
最近は自分の中の決まりが無くなりとても生活しやすいと、私が話したからだろう。
二年前きっと私は不安の塊だったのだろう。
朝から晩まで儀式を行う事により少しでも不安を解消しようとし、泥沼にはまっていった。

抜け出せて本当に良かった。
まだ、たまに足に泥をつけてしまうこともあるけれど、ちゃんと身動きが出来ている。

私は大学2年の頃、自分摂食障害だと自覚し母親に 私は多分摂食障害だよ と伝えました。

今でこそ両親は私が病気であることを認め色々と手助けをしてくれてますが、それは考えすぎだよといわれました。

でも自分がおかしいことや生活がどんどん辛くなるのは自分が一番分かっているから考えすぎと言われても、摂食障害だという考えは薄れませんでした。

学校の相談室に行き病院に3件行き4件目の今の病院に落ち着いています。


振り返れば偏食は実家に居たころからしていて体重が38キロになった時も両親に会っているのに何でおかしいって言ってくれなかったんだろう、もっと早く気づいていれば辛い思いしなくてすんだかもしれないのにってものすごくわがままな風に思う事があります。

先日、父親から突然のメール。
内容は おばあちゃんが今朝息をひきとった。 というものだった。
5年間の植物状態がやっと終わった。
おばあちゃんも我が家も様々なしがらみ、呪縛から解放されたのかと、メールを読みながら思った。
通夜にだけ参加するため帰省し、その日の内に帰ってきた。
数時間だったが、両親のそばにいるのはひどく疲れた。


小さい時は母が居ない時だけおばあちゃんと遊ぶのを許された。
大好きだったはずのおばあちゃんは何時の間にか痴呆の悪化により目障りな存在になっていた。

今、おばあちゃんがこの世に居ないことが私は悲しいのかよく分からない。