ちょっと今日は真剣な話をしようと思う。
楽しくない内容だし長いし、飽き飽きしてくるような気がするので
読みたい人だけ読んでいただければ幸い。
有機の再試験が終わったのですが、恐らくファイナル進出かと思われます。
結果的には、前期は物理、後期は有機の合計2つの爆弾を抱えて
大学生活の6分の1を、終えようとしています。
「隊○やばくね?」とか言ってる場合じゃないな。
同じレベルいや、それ以下でしょ。
必修科目ファイナル2つってなかなかいないよね正直。
再試の有機の勉強をしながら、いろいろと考えてた。
有機化学という無機質で実体のない大きな壁。
有機化学が難しいとか興味がわかないとか言ってる友達が何人かいた。
「学部選択間違ったかも」とか言ってる人もちらほらいた。
本音なんだと思う。
そんな人たちの言葉を聞くたびに、
心の扉の、ほんの小さな隙間から生ぬるく乾いた風が吹き抜けて、
ひりひりした塊に触れる。
その触感と不自然は波のように瞬間で全身に伝わって、また消える。
ここ最近の話だけど
言えることと言えないこと
瞬時に判断する能力を身に着けた。
「大学について、勉強についての不安と不満。」
日常に潜む魔の瞬間っていうのがあって
その瞬間をついてそれは湧き上がってくる。所在無き場所から。
ただ、思ってても言わない。
言わない方がいい気がして。
それは、誰かのためなんかじゃなく強烈に自分のためなんだけど。
口に出した瞬間に、
過去も今も未来も、全部がだめになってしまう気がして、
無の空間に投げ込まれて、その中で何もかもばらばらになって粉々になってしまうような
そんな恐ろしさに、心の不在に、耐えられなくなりそうで。
口に出した瞬間に、
待ってましたとばかりに騒がしく、心の中の歯車がガタガタ狂いだす気がして。
その狂気は、ほんの一瞬の魔の瞬間にやってきて
私をどこかへ連れ出そうとする。
ただ、その連れ出された場所が、果てしなく暗くて寄る辺なき空間だということだけは分かる。
完全に何もかも、引き裂かれ、無になる、そんな恐ろしい場所。
生半可な覚悟では、やっていけない。
この魔の瞬間っていうのと私はときどき戦っているわけで、
そして一年という歳月をかけて
私なりに、戦う決意をしたわけで。
だから、
私はなんとしても、
目の前に用意されたこの課題を淡々とこなして行かなければいけない。
少なくとも私の過去未来、そして何より今を保証してくれているこの化学式に、
それに投資してくれている人たちのことを忘れずに、
意地でもしがみついて行くことを決めたんだ。
今の平穏な日々と今ある最低限の些細な幸福を約束してくれるこの化学式に。
ここで手放すわけには絶対に行かない。
そしてどんなことが起ころうが、私はここを卒業する、6年で。
6年じゃないと何の意味もない、すべてが無になる。
これは自分との契約であり、一種の賭け。
それが今の私に用意された道であり、それ以外にはないんだ。
ここでできないと、もう一生なにもできない。
ここ最近はそんなことを思うようになった。
多分昔の私にはないような発想。
環境の変化はある程度、考え方も変えるってこと、肌身で感じた。
そして、こういう思いを抱えているのは私だけじゃないような気もする。
自分だけが変わってる、自分だけが辛い、自分だけが幸せ。
方向性はどうであれ、いずれにせよ「自分だけは」なんていう言葉は傲慢だと思う。
「誰かが知らない場所で涙を流していることを忘れてはいけない、じゃないと自分も涙を流すから」
誰かが言ってたな。
ものすごく抽象的で漠然としてるけど、でも、なんとなくわかるよ。
昔の私は物事を「最高」と「最悪」で考える癖があった。
物事白黒はっきりつけないと気がすまないタチってやつで、
今もその傾向は完全に払拭したとは言えないけれど、
グレーの状態、いわゆる「中庸」っていうのがあるのだと最近知った。
そして、その中庸の寄る辺なさ、所在無さに耐える、時々は見過ごす、
そんな態度が包括する役割?のようなものに最近気づいた。
人の強さや尊さ、そして今現在に蔓延っている諸問題、すべては中庸に存在する。
こんな何が起こるか分からないご時世だから、信じられるのは自分だけだ!
って、思ってた。けど、思えば思うほどいまは胡散臭い。
自分にそんな確信がもてる人間は、きっとこの世の中そう多くはないのだろう。
そして、答えがなくとも、いずれ時が来ればすべて分かる、ような、そんな気がしてる。
例をあげれば、12月からなんだか顔も見てない口も聞いていないような気がする彼だ。
中庸を教えてくれたのは多分彼だと私は思ってる。
不安定な関係ではあるけど、その不安定が穏やかに緩やかにずーっと続いてる。
あの日から、何かもう最初から決まってたことのように、見事に出会わない。
もう12月の出来事ですら予定調和のような気さえしてくる。
そして、なんだか生活というレベルにおいてせっせと何の埋め合わせをしようとしてるのだろう。
そんな気さえしてくる。
生活において何かを生み出すというよりは、もう生み出された何か汚いものを埋め合わせ、
生み出された尊いものを守るためまた埋め合わす。
彼もまた、予定調和に動かされて埋め合わせをしてるような、そんな強烈な何かを感じる。
感じてた、ずっと。
だから似てるって思ったのかもしれない。
結局は彼の内面に見出していたものは自分のなかの内面だったんだろうな。
だから私は、驚かれるほどに、あんなに短時間で、彼のことを割とよく理解できたのだろう。
そして時間がたって、ある程度距離を置いて環境を変えると、
彼との数少ない色々なことも
居場所を見つけて、心の中の引き出しにスっと収まった。
「たしかに楽しかったんだ」それ以外なにものでもないし、それでいいのだと思った。
でも、だからこそ、最後の衝突が未だに腑に落ちない。
部屋の片隅で有毒生物を飼っているような圧迫感に支配されそうになるときがたまにある。
あれは、あまりにも不自然で気味悪く、
コード進行が途中で狂った幼稚園児の発表会みたいな幼さと滑稽さとを持って私の中に存在してる。
あれは、私の、「不完全」の、象徴だな。
今は、そう思って、あの出来事を背負ってる。
100パーセントの純度ではないけれど、ある程度の実感を伴った確信。
そう思うと、私はまだ、不完全だ。
何もかもにおいてが。
でも、これだけは常に思っていたい。
今あるときを私は精一杯楽しむよ。
楽しみが虐げられることに何の意味がある。
純粋に楽しむということは心が強くないとできない。
そしてそれは私らに与えられたとても尊く美しいこと。
楽しめることは、重要だよ、生きてくうえで。
人間関係だってそう。
楽しさを共有したその先に、悲しみや辛さを委ねる何かが生まれるんだと思う。
だから
理想を描いてその理想に苦しむくらいなら、笑い合える、楽しめる今日を優先しようって
私は、大学に入ってちょっとだけそういう風に思うようになった。
今日も明日も、きっと楽しい一日。
そうやってすごしていければいいなと思う。
悲しみ、不安、別れ、いつか何らかのかたちで思い知らされるのなら、
楽しかったことを楽しかったと思える、先々の楽しみに希望を委ねられる
そんな強いこころを持ってたい。
そんだけだ。
最近はこころのなかでそんなことを思っていました。
吐き出せてなんかすっきりした。
ここまで長い駄文を読んでくれた方、ありがとうございます。




