コミュニケーション
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年をとろう

就職先が決まり、最近は将来の夢を膨らませています。

楽しいことをしているときは勿論楽しいですが

それを考えているときも同じぐらい楽しいです。


35歳ぐらいになって

古い友人や後輩たちと酒を飲みながら

「お前あんときほんと馬鹿だったよな」って言い合うのが楽しみです。

年はとりたくないって思っていましたが

人間は古い友人と思い出話をするために

年をとるのだと思います。

そう考えると年をとるのも悪くはありません。


僕は先日22歳になったばかりです。


ところで、誕生日プレゼントは気持ちさえこもっていればなんでも良いのです。


それこそ、かわいい女の子が河原から拾ってきた石を

「これ、あなたに似てたから」

と言ってプレゼントしてくれようものなら僕は

その表面がツルツルピカピカになるまで愛でるでしょう。


もう少しで友人の誕生日が来るのです。

その友人には以前、7000円のペンをいただいたので

せめて5000円(プラス気持ち2000円分)ぐらいのプレゼントをしなくてはと思います。


ちょっと前までは500円のプラモデルをプレゼントしていたのに

いつのまにか10倍以上の値段のものを上げるようになりました。


こんなところにも自分の成長といいますか

時代の流れといいますか

大人になるってこういうことかと感じるのであります。

ゲロッパ

今日映画を見ました。

「ゲロッパ!」という映画なんですけども、

たぶんご存知でしょう。


僕は映画に詳しいわけではないのですが、

この映画は大好きです。

以前みたことがあったのですがまた借りてみました。


僕は映画にしろ小説にしろ、家族を描いたものばかりをみます。

そこにいつも理想の家族像を求めてしまうのです。

理想の家族とはどういうものなのでしょうか。


家族とは言いつつも、自分以外は他人です。

だから長年同じ家に住んでいて、何もかも知っていると思い込んでいても

他人と他人はぶつかり合うこともあります。


ぶつかることで分かり合って、成長しあうというのは

何も男と女やAという考えとBという考えだけで言えることではなく

家族の中でもいえると思います。


ただ、家族に本音をさらけ出したり

その前で涙を流したり熱い抱擁をしたりするのは照れくさいので、

それを当たり前のようにやっているフィクションの家族に

僕は少しだけあこがれているのかもしれません。


世界中にはたくさんの悩みがあって、

それは人それぞれですから価値観によって様々ですが、

家族の悩みほど苦しいものはないと思います。

ですから僕は家族だけは大切にしたいといつも思っています。

運命について

自分がどういう人間なのかを真剣に考える機会は多くないです。

そしてそれを人に伝えるとなればなおさら少ない。

さらにはそれを認めてくれる人に出会える確率はどれほどで

その中で僕がその人を好きになる確率はどれほどでしょうか。


それが就職活動だと思います。

loveの話をしているわけではありませんが、同じことかもしれません。


僕は昨日、第一志望の企業から内定をいただきました。

夢は叶うんだって思いました。

何千人といる中から、僕を選んでくれるってすごいことです。


さきほど確率の話を持ち出しましたが、

実際のところ確率は関係ないのかもしれません。

はじめから分母は1でしかなくて

分子も1でしかなかったのかもしれません。


運命という言葉はいつも結果が出てから使われるので

「そんなんいくらでも後付できるじゃーん」

と思って馬鹿にしていますが、

今だけは運命と

縁と神様と日ごろの行いと果報は寝て待てということわざを

全て信じることができるぐらい舞い上がっています。


運命なんて変えてみせるって

なんか変な言葉だなぁとおもいます。

そう言っている時点で運命があるってことを認めてるし

結果うまくいくにしても駄目だったにしても

それも運命でしょって言われてしまいそうです。


まあ、いっか。ねよ。