私の祖母は、明治生まれ

私の母は仕事をしていたので

私は祖母に育てられました。

しっかり者で、愛想がよくて、

近所の人にもなぜか気にかけてもらっていました。

母はそんな祖母のことが羨ましいと言ってたことを

思い出しました。

明治時代、小学校も出てないかも(記憶が定かではない…)
そのころにでっち奉公してたということも聞いています。

とにかく人の世話をするのが好きで、

よく気がつくし、

人と話をするのが好きで、

若い頃(昭和30年あたり)

仕事場に人が集まって来ればお茶を出して…

お茶を出すから人が集まる…

昭和戦後の時代をそんなふうに生きていたと

母からよく聞かされたものです。

私の父と母も、そんな祖母がつくった社交場で

ご縁がつながったとか。

そんなことも教えてくれました。

いま、改めて思い直してみると

祖母はいつも人を喜ばすことをしていたと気づきました。

だからいつも豊かだったんだと。

戦後の時代、食べるものもなかなか手に入らず

食べていくのがやっとだったそんなときから

なぜか食べられて、生活できていたと

母が話してくれていました。

人のためにお茶を出して、お菓子を分けながら

人の話を聞いて、お楽しみの場所を

自然に作っていたんだなぁ

家でも、家事担当だったから、

いただきものはご近所さんに配ったり

お土産などを頂いたら

すぐにお返しの何かを考えたりしていました。

そして何より

自分がしたくないことは

やってなかったんです‼️これを知った時は衝撃でした‼️

人に頼んでやってもらっていたのですねニヤリ

母はしょっちゅう頼まれていてびっくり

いやとは言わずしょうがないから全部やっていました。キョロキョロ(母は我慢強いので、やらねばと思っていたと思います。)

それで、やれてしまうのが母でもありました。

そんなやりとりを見ながら、いつも複雑に気持ちの私でしたショボーン



私が子供の頃に聞いた話を思い出したので書いてみました。

私にも、人生の転機があって

そのことがきっかけで、

意識のことを勉強するようになって

ちょっと不思議な世界も知って

いままでの思い込みに気づいて

修正されて行くと

見えてくる景色も違ってきました。

与え上手は、豊かさの一歩につながるということから
祖母の生きていた姿を思い出しました。

明治生まれの祖母に教育された母と私は、今の時代とのギャップに混乱することもありますが、

それがあったから自分のことを知るということにたどり着いたのかなとも思っています。なかなか大変だけど😆

母親が働いているから迷惑かけないように…
部活で汚れた体操服は自分で洗ってた!

学校の準備はきっちり自分でやって、時間に遅れないように行く!
(だから、いつもギリギリで行く友達を待てなかった😅)

きっちりしてる人を褒めるから、私はそれが正解だと思って勝手に枠を作ってた!

祖母や、母を正解にして、子どもの頃生きていた。
自分がやりたいか?なんて考える余地もなく、
それができないと怒られるし、
巧みに言いきかされることになる。

どうしたい?と聞かれることがなく、
過ごしてきた。
まあ、昭和の時代はそれで生きやすかった。ように思う。

だがしかし、自分が子どもを産むことになり、子育てし始めると、頭の中が混乱し始めた。
そこで自分の思い通りに子育てしたい



と始めるが、やはり世間の中に入ってしまうと流されてしまった。

しょうがない…と。

でもでも、
もう、今となってはそこに戻る必要もないから
自分で決めてやっていけばいい。
考え方は人それぞれ。

昔の記憶もあやふや。朧げな記憶とあるが、
思い出したことも一旦受け止めつつ
じゃあどうしたい?
と先に進める自分になっていこう😃

今の私は、選べる環境にあるし、
豊かであるから💖


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