これをきっかけに、時々頭の中の色々なことを書き留めていけたらとおもいます。
人は残酷で、普段は対して気にしていなかったことが急に無くなると、途端に焦りはじめます。
今回もこのケースではないかと思う。
私にとっては生活の一部になってた。
彼の歌を聴くと、儚さと悲しさが伝わってきた。
実は、よく涙していた。
悲しいとき、苛立ちを覚えたとき、消えたいと思ったとき、
酔っ払って、なにもかもぐちゃぐちゃになりたい気分になりたいとき、
音量をいつもより3つ上げて、聴いてた。
音と歌詞とメロディがとても痛々しかった。
20年生きた位のわたしには、
挫折など見てきたとはいえ、とても幸せな家庭で多くの知り合いに恵まれてるわたしには、
絶対に理解することが出来ない絶望があった。
だから辛くなった時、少しでも気持ちをわかってもらおうと、わかりたいと聴いてたんだと思う。
曲は、映像は、顔は、今の時代いつでもなんでも聴くことが、見ることができます。
でも、その声の持ち主は、この世にはいません。
よく、ブログで彼の名前を見るたび、「頑張っているんだなあ。元気かな。」と思い、
この日本のどこかに彼は生きてる、と嬉しくなった。
また歌声が聴きたかった。
彼は歌うことが大好きだから、またいつでも聴けると思ってた。
自分の生活に余裕が出たら、聴きに行こうかな、ってそのくらいだった。
もう遅いけど。
死を経験しても人間はすぐには自分の生活スタイルを変えられない。
でも、絶対忘れない。本当に一生、絶対ずっとずっと声を聴き続ける。
だからこの次の曲でサヨナラしよう。