笑えれば~24歳で卵巣癌になりました~ -14ページ目

笑えれば~24歳で卵巣癌になりました~

24歳、入籍して1ヵ月結婚式を2週間後に控えて、病名発覚。胚細胞腫瘍【ディスジャーミノーマ】Ⅰc期の卵巣癌と診断され、抗がん剤治療を経て、現在は経過観察中。

癌と共に生きてる、日記です。

月曜日

10時から抗ガン剤投与が始まった。


私の治療はBEP療法という療法で
毎日10時から3時間はブリプラチン
14時から3時間はラステット
という抗ガン剤を投与し
2日目、9日目(外来)、16日目(外来)に30分ほどブレオマイシンを投与するんだそうひらめき電球


腎機能が悪くなるから
ブリプラチンとラステットの間には利尿剤を点滴。


この点滴が
なかなか痛いダウン
ちょっとドロドロしてるらしく
組織もでかい?だかなんだかで
血管にはいるのに痛むんだって。


温めると良くなるかも
って言われて温めたら
余計に痛くなったガーン




で、吐き気とかすぐ来るのかと思ったけど
この日はほとんど気分悪くならず終了ひらめき電球キラキラ


母も心配で様子見に来てましたが
この日は元気にいろいろ話すくらいでしたひらめき電球




翌日2日目。


この日も10時からブリプラチン。
14時から利尿剤
15時からラステット

この日は17時からブレオマイシンを点滴ひらめき電球


ブレオマイシンが終わった直後あたりから
なんとなく身体がかゆい。
と思ったら
お腹が真っ赤になってきた!


ちょっと様子見たけど
かゆみは広がるばかり。


そんなこんなで
夕飯が運ばれてきて
大好きなサバだったんだけど
副作用でにおいに敏感になってたらしく
サバが臭い臭い。
一気に気持ち悪くなりダウン。
しかも身体中痒い。


まずいなと思いナースコール。


診て貰うとすぐ先生が来て
ステロイド剤を点滴してもらい
かゆみは収まり始め
息苦しくなったらすぐ教えて!と言われたけど
そこまで行かず一安心。



恐らくブレオマイシンでアレルギー反応がでたんだとのこと。


この日から
気持ち悪さとの戦いになりました。
2012.02.12

午後入院となっていたため
お昼は旦那と
さよならーめんをするため
ラーメン屋に行き
いつもは並なのに
中を頼み
思いっきりラーメンを食べました。
でも食べきれませんでした。


そして入院。


またこの入院をするとは思わなかったなぁと思いながら
慣れた手つきで
入院生活を始めるために
荷物を分けたりしました。


看護士から
これからどんな治療が始まるのか詳しく説明を受け
吐き気がでること
脱毛や骨髄抑制が2週間で起こること
などなど
説明を受けた。


つらい治療だと思うから
気持ち悪かったら気持ち悪いって言ってほしい
つらいことは話してほしい
と看護士に言われました。


そして、その日は
栄養剤の点滴を始めるだけで
終わりました。


抗ガン剤は明日から。
がんばろう。
職場へは一人で向かった。旦那は駐車場で待ってました。


久しぶりの職場。
先輩達が泣きながら出迎えてくれた(笑)


どうだった?大丈夫?
と言われて
癌でした
と話していると
支店長と応接室へいくことに。


癌でしたと報告し
抗ガン剤治療が必要でまたしばらく仕事に来られないことなどを話し
支店長も上司も仕事のことは良いから、と言ってくれて、体の心配をしてくれた。


話が終わり
だんだん気持ちも落ち着いてきた。
癌でしたと報告している自分を見て
癌なんだと冷静に理解してきた自分が居た。


すごくお世話になってるお母さんみたいなパートさんに報告した。


愕然としていました。
結婚式を先にやりたいんです
と話すと
もしも結婚式を先にして、治療始めて、もしも再発やら転移やらってなったら、結婚式を先にしたことを後悔するよ?絶対に。誰も責められないのに誰かを責めちゃうよ?治療が出来る環境にあるなら先に治療をしてほしい!治るんでしょ?結婚式はその後にいくらでも出来るから


と涙ながらに話してくれた。


この言葉で
私は自分の身体をダイジにしなきゃ。こんなに心配してくれてる人が居るのに、今は欲より現実と向き合わなければ
と思った


ほかの先輩たちにも同じようなことを言われ
治療することに背中を押された形で
職場を後にした。


旦那の元に戻り


私決めた。治療優先する。



と宣言すると


驚いた顔をしていた。


待っている間
旦那は自分の母や姉妹に電話で結婚式をどうするか意見を求めたらしく
みんな口をそろえて
結婚式やらせてあげなさい

と言ってたんだと


だからきっと私も職場で同じように言われてくるんだろうと思っていたら
まさかの治療宣言。


経緯を話すと
素晴らしい職場だと感動していました。(笑)


そして家に帰り
治療を優先したいことを話すと
父も母も理解を示してくれました。



こうして癌と向き合う生活が始まるのでした。
旦那は

『癌って言われてどう?どんな気持ち?悲しい?』


と2人きりになって
聞いてきた。


うん…悲しい、かなぁ。


なんだかまだ癌であることを理解できていなかった。


そして旦那はなぜ自分たちが知っていたのかの経緯を話してくれた。



手術の日


手術中にだったかな?
腫瘍がなんだったのか家族には説明があった。


迅速病理診断をしたら
悪性であったこと
先生も初めてみる形で、何なのかさっぱり分からないこと
大網に転移はないが、顕微鏡サイズで転移があれば残した卵巣子宮の摘出手術がまた必要になることがある
現段階では何とも言えなくて、2月8日までに詳しい病理診断をしないと診断は下せない


と言われたそうなんです


それを聞かされて
やっと実感がわいてきたとゆうか
旦那の声を聞いてたら
涙が出てきました。



そして
母はその先生からの説明の場で泣き崩れていたそうなんです。


先生からは
娘さんにはまだ話をしないでくださいと口止めをお願いされ
素人が分からないことを話をしても、本人に不安を与えるだけだから
2月8日の診断結果が分かるときに
先生から納得行くまですべて話しますから
話さないでくださいと
口止めされてたそうです。


後日
母たちは私に話した方がいいんじゃないかと
先生に相談したりしたそうなんですが
やはり聞かされた私が抱く疑問に
母や旦那は答えられないでしょ?と先生に言われたそうで
結局黙っておくことになったみたい。



そして一通り話を聞いて
だから良かった良かったと言ってたのかと理解することが出来たが
私からしたらこの現実を理解できなくて
あまり良かった良かったと言ってほしくはなかった。


そこから結婚式をどうするか話を始めたが
私はそのときまだ結婚式をしたいことしか頭になかった。


死ぬかもしれない
と思ったから。



ウェディングドレスくらい着てから死にたい
と思った。


でも旦那は
結婚式は延期して治療してからでいいじゃないか。だって絶対治るんだから。



とゆう考えだった。


そこへ母も来て


母はわたしの意見に賛同する形になり
話はまとまらず
結局先生とも結論を出せず
翌日結論を出して、治療の予約をする形になった。



帰りの車内
誰もしゃべらなかった。
母は後部座席で泣いていた。


そして職場へ報告するため
母を実家におろし
旦那と二人で職場へ向かった。
2012.02.08

10時30分に外来予約してたので
10時すぎに待合室に行くと
既にたくさんの患者さん。


さすが有名な大学病院名医。


結局呼ばれたのは
お昼前だったような。


良性でしたよ
と言われるのを待っていた私。

旦那と母と
診察室にはいると


先生『お母さん話した?話してないよね?』

母『話してません。』


先生『いやぁ良かったよ。最悪の場合は免れたから。』



???????????


なんだ?なんの話をしてるんだ?
と思っていると先生は私に


『あのね、悪性だったよ。でもね、悪性にも色々種類があってね。あなたのは胚細胞腫瘍っていうもので、抗がん剤がよく効くタイプのものだった。ディスジャーミノーマってゆうの。腫瘍の画像見る?』


と何を言われてるのか理解できなかった。


でも性格上
悲しむ姿を見せたくない!とバリアをしてしまい


『悪性だったんすか!まじかー画像?みたいみたい!みしてください!うわー気持ち悪い腫瘍!きゃーうひゃー』


みたいな変なテンションで居た気がする。
腫瘍はピンクでボコボコしてて
なんかドラゴンボールの
魔神ぶうみたいだなって思った(笑)


それから
腹水にガン細胞が若干いたこと
右卵巣、卵管、大網を切除したが転移は見られなかったこと
転移があったら、卵巣子宮全摘出の手術が必要だったこと

これからBEP療法ってゆう抗がん剤治療が4クール必要なこと
治療が終われば妊娠出産も可能な事


などを説明を受けた。




そして
私は2012.02.25に結婚式を控えていた。


先生は
結婚式の次の日に入院して治療を始めても良いよ
と言ってくれた。


結婚式までは2週間。


その2週間で何か違いが起きるわけではない、と先生は言っていた。


治療を2月13日から始めて結婚式は延期か
結婚式を決行して翌日入院して治療始めるか



とりあえずその場ではすぐに決められないから
いったん待合室で家族で話し合いをして
30分くらいしたらまた呼ぶから
いつから治療するか決めて
と言われた。


その後傷の具合などを見てもらい
その間に母たちは待合室へ出た。


エコーで見て貰っているとき普段世間話をしない先生が
『旦那さんとはどこで知り合ったの?』とか色々話をしてくれた。


先生なりに私の心中を察してくれて
やはり名医と言われる先生は人格から違うんだなと冷静に感じた。



待合室に戻ると母と旦那は良かった良かったといった感じだった。



私からすると、何がよかったの?わたしガンって言われましたけど?

って感じだった。


すると旦那が
『ちょっと2人で話をしたいので、いいですか』
と母をおいて
2人ではなせる場所に行った。

退院後
何日かは家で寝てたけど(体力消耗ハンパなかった)


しばらくして


『そいえば、手術どうだったの?わたしの身体からとれた腫瘍はなんだったんだ?誰も教えてくれないな~』


と気になり始めた得意げ


母と散歩中に
『そいえば手術どんなだったの?腫瘍ってなんだったの?』

と聞いてみると。


『手術はね2時間位で終わったんだよ。腫瘍はねぇ、卵巣のう腫でもなく子宮筋腫でもなくって、卵巣腫瘍だったんだって。悪性かも良性かも分からないから、病理診断で詳しく調べるんだって。先生も見た事無いって言ってたよ。』
と言われた。



え?そうなの?良性じゃなかったの?わからなかったの?ショック!ショック!ショック!ショック!ショック!ショック!


と、
良性だと思いこんでた私は
そこで初めて
頭の中に悪性の可能性も頭をよぎった。


そこから
毎日ちょっとずつ
携帯で
卵巣 充実性腫瘍
を何回も調べた。


そう調べるとさ
悪性って言葉がバンバン出てくる。


びっくりしたわガーンパー


でも
悪性とも決まった訳じゃないし
まぁまだ分からないんだしひらめき電球
となるべく悪いことは考えないように決めた。


2月8日の外来で
良性でしたと言われるのを待とうと決めた。



しかし
旦那や母が
やたらと
もしも悪性だったら…
と私に話をしてくるから
日に日に悪性だったらどうしようかと
不安が大きくなるのでありました。


でも
身体どこも悪くないし
傷もよくなってきたし
2月13日から仕事復帰しようラブラブって勝手に決めてた私。


悪性なはずはない
ってずーーーっと思ってました得意げ
こっから変わり映えのしない毎日なので
いっきに退院までっ。


手術後3日目からは
昨日までの痛みも嘘のように
どんどん動けるようになってきたラブラブ



寝返り
くしゃみ
は、問答無用に痛いけど
歩くのもだんだん軽快に。


ベッドであぐらもかけるようになった。


とにかく歩きたかったから
院内のいろんな場所に
一人で探検に行ったりしてました。


最初下痢気味だったけど
歩けば歩くほど
便も普通になってきて
よくなってるわードキドキ
と毎日実感してました。


術後5日で退院の予定だったから
退院が待ち遠しくて待ち遠しくて。


夜は全く眠れず
睡眠薬使ったら
寝ぼけるし(笑)
イヤな気分になったので
夜寝れなかったら
消灯時間無視して
テレビ見まくってました。


あと
魔女の宅急便をDVDで何回も見たチョキひらめき電球


そんなこんなで
術後5日目!


無事退院しましたドキドキ


普通の人より歩くの遅いけど。
でも
自分なりに高速で
ルンルンで退院しましたニコニコラブラブ


この日は朝から体調がよかった。
動き回って
食べて飲んでってしてました。


いつもお見舞いに来る母も
今日はこなくて良いよってメールするくらい調子がよかった。


でも午後になって
痛みが強くなってきて
身体がこわばる。


なんか変だなと思いながらも
寝てればよくなると思って寝てても
身体がだんだん強ばってくる。


15時くらい
兄夫婦がお見舞いに来てくれた。


その時点で
身体はふるえ
こわばり
あきらかに様子がおかしくて。



痛み止め追加して貰っても
全く変わらず…


兄夫婦が何回も看護士さんを呼んでくれた。


兄夫婦が帰って
いよいよヤバいカンジがしてくる。


目が上転してきた。
息もしにくい。


最初にナースコールで助けを求めた
担当ではないメガネデブの看護士は全く対応に来ず
耐えかねてもう一回ナースコール。
看護士さんが来ると
慌てて血圧計ったり
酸素はかったりしてくれた。


あのメガネデブ…(´・ω・`)
この日を持ってこの看護士さんは嫌いになる笑


医師が来た。


『呼吸が浅くなってるから、ゆっくり呼吸してごらん』

と言われても
全くよくならない。


なんとかしてくれー!!!!と思ってたら


『ゆっくり呼吸すれば治るからね』

と言って
医者退場。


でも
そこから全く改善されず
夜またお医者様登場。


『ちょっと落ち着く薬使いましょうね』


と言われて
それを点滴し始めたら
目の上転も収まり
痛みも引いた。



助かった……



結局
痛みで過呼吸のような形になってたみたいで
メンタル的な問題だったらしい…


気づかぬ内に
そんな事になってたらしい。私の体の中は。


そうして
長い2日目は終わりました。
とにかく眠れなくて
夜が長かった。めっちゃ長かった。


看護士さんも
夜中に何回も見回りにきて
足のマッサージのやつとか
なんでだか何回も外れて
そのたびに看護士さんが来て


『早く動きたいんですけど…』


って何回もお願いしました(笑)


朝になったら歩行訓練しましょうね、って言われたけど
朝がこない。



やっっっっと朝6時になって
看護士さんが
『歩きましょうか』
と言ってくれて。



頭上げて
しばらくその高さに慣れて
足を床に着けて
しばらくその体勢に慣れて
立ち上がって足踏みして
また休憩。


『フラフラしませんか?気持ち悪くないですか?』


って聞かれたけど
幸い私は全くそんなことなく。


傷は痛かったけど…


5メートル先のトイレまで歩いていって戻ってくる。


いやー長かった。距離が。



でも歩けたおかげで
足のマッサージと
尿道カテーテルがとれて
スッキリハートハート


ここからやっと自由!
開放的でした~。


歩いてガス出さないと
水も飲めないから
ひたすらに歩きまくった気がしました。


いたたたた…………


って言いながら
めっちゃ歩いた術後1日目だったです。


ガスは夕方には出た気がします。
安心(´・ω・`)


点滴してるから不思議とおなかは空かないんだけど
さすがに何かを口にした意欲も出てきたショック!


と思ったらガスが出たから
水飲んで良いって許可がチョキひらめき電球


ってもあまり飲めなかった。
お腹グズグズしちゃって。



そんなこんなな1日目でした。
2012.1.19

『手術終わりましたよぉー』

と看護士さんに声をかけられた。


『卵巣だったよぉ~子宮じゃなかったぁ』

と主治医に言われた。


気付くと病室らしき場所に居て
『終わったよ~』
と誰かに言われた。


『一旦帰ってまた来るね』
と旦那様。


ブツブツした記憶しかなくて
ちゃんと意識戻ったのはどれくらいかな。
夕方なのかな。


酸素マスクついて
足には血栓防止でマッサージ機みたいのついて
全く動けない。苦痛。苦痛。苦痛!笑


お母さんも
また来てくれた旦那サンも
19時には帰って
夜は眠れず
傷は痛むし
苦痛な夜でした。しょぼん